初修験のひとまずの完了 | 3年前のしこうの楽しみ

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あまり引っ張るものでもないので山行の回想はこれでひと段落としようと思います。
まだ記載していない受け取りもあり今更ながらその密度の濃さが自覚されます。
そしてその影響はこれから顕在化するものもありそうな予感があります。

同時に未だに体力が回復しきっていない気もします。
良いような悪いような今までにない雰囲気です。
変化しているのは確かなのでしょう。

それらどちらの意味においてももう少しこの期間は続きそうに感じます。
ということでしばらくモニタリングは続くのでしょう。
とはいえそこに縛られるのもナンセンスでしょう。

半月も浸っていたら過去に囚われているような状態になるかもしれません。
そんなこともあって前に推進力を得ていきたいと思います。
そのためにも区切れとして残りのエッセンスを意識化しておくことにします。

とにかく今回の山歩きでは修験道というものが身近になりました。
実際にその一端を体験することでその意義が浸透したのかもしれません。
それと接する在り方次第ですが苦行のイメージは払拭されました。

一般にはその印象が強いように思いますがそれも自由だということです。
つまり苦しむことが目的でもなければ強要されるわけでもありません。
あくまで自主選択だということです。

これが自覚できたから受け取りが深まったのでしょうか。
この世界の存在意義と奥深さが染み入ってきたのでした。
象徴はやはりその服装でしょうか。

身に纏ってみないと分からないものです。
目的に対する機能が洗練されている印象でした。
この意味において雨に打たれたのは幸いでした。

不運とも言える状況だからこそ感じられたこともあるものです。
ありのまま濡れても不快感が少ないのでした。
体温が奪われるかと思いきやそんなこともありません。

白衣がむしろ外界との境界を明確にするかのようでした。
頭に乗せる笠も帽子のように暑くなりません。
編み物なのに水が染み入ってくることもありません。

なので風情を楽しめるかのようでもありました。
それが不思議と自然との一体感を生み出すものです。
まさにありのままと共鳴する気分でした。

穏やかですがこれこそ醍醐味だったのかもしれません。
ここで感得した祈りのような感覚を定着させていくことにします。

谷 孝祐
2018.5.19 9:36