腹痛での山行から何を受け取ったのでしょうか。
それを意識化しておきたいと思います。
分かりやすい部分では体の変化への認識でしょう。
刻一刻と状態が変わっていくのが明瞭に感じられました。
言うなれば死に近づくベクトルのものです。
まさに悪循環を理解したという印象です。
うまくマネジメントできなければ一気に悪化することも実感できました。
そういう時こそ目を背けずに向き合うことが結路を分けるのだと思いました。
一般的にそれができるのは精神力と表現されるでしょう。
しかし実質的には感情がクリアで翻弄されない状態にあれば必然的にできるのではないかと推測します。
やはり極限であればあるほどいかに無とか空とかと言われる心理状態が重要なのかが体感できました。
願わなくもこのエリアでの修行の本質を体験させられたかのかもしれません。
これと並行して体感したのが不具合におけるエネルギーロスです。
たかだかお腹をこわしたくらいでここまで消耗するとは予想もしませんでした。
歩くのに労力を割けなくなっていくのです。
おそらく半分以上は不具合の影響への対応に使われてしまうのではないかと思いました。
日常生活でそこまでシビアな状態になることもないので大きな発見でした。
これによってより安定した体調を指向する種が植え付けられたのかもしれません。
さらなる能力発揮にはそれが意味を持ってくるように思います。
また歩きながら頭をよぎったのが再誕生という言葉でした。
修験道におけるモチーフでもありますが今まではどこか単なる儀式に思えていました。
岩をくぐる胎内くぐりなどはメタファーでしかなさそうに感じていました。
シャーマニズムにおいても散見されるテーマですが個人的にはそこまでの意味を感じられていなかったのです。
よっぽどヒーリングや瞑想の方が効果的であると考えていました。
それがこの苦しみのお陰で条件が整うとその作用につながるのだということが理解できました。
復活やよみがえりも同様の性質を持つのでしょう。
そんなことから日本はずいぶん昔から自己成長に傾倒していたのだと感じました。
そのおかげでその世界の良い部分と共鳴できるようになったのでした。
あとはありきたりですが現代生活の有難さと虚構といったところでしょうか。
電波も入らない自然の中にいるとすでに地球環境のキャパシティをはるかに超えた人が暮らしているということもチラつきました。
だからどうということもありませんがこれがマクロな世界で見える種々の問題の根源なのかもしれません。
人口減少への流れは適正化とも考えられるでしょう。
いずれにせよ翻弄されずに自分の道を歩みたいものです。
谷 孝祐
2018.5.16 10:23