情報の流れの変化と自立への時代 | 3年前のしこうの楽しみ

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ここ最近よく自立についての話題があがる気がします。
それが求められている時流のように感じる人が多いのかもしれません。
これからさらに加速するようにも予想されます。

一方でその実感が少ない人もいる可能性もあります。
ということでどの辺りにその傾向が表れているのか考えてみるのも良いかと思いました。
何となくそうキャッチしている人もより納得感が出れば意味のあることでしょう。

あくまで個人的な見解ですがシェアしておくこととします。
時代の大きな流れを考える上で技術の進歩をトレースするのは重要です。
そこから推し量れることが非常に多いためです。

概ねテクノロジーの発展の後に社会の変化がついてくる傾向があります。
言いかえれば生活を取り巻く環境が変わればそれに伴った調整が必要になるわけです。
昔で例を挙げるなら活版印刷の発明でしょう。

この結果として書物を大量に刷ることができることになりました。
聖書もその範囲に含まれそれを独占していた教会の権益が落ちていきます。
どうやらこれが宗教改革につながるきっかけだったようです。

以来おおまかに情報発信するメディアが一定の力を持つようになるわけです。
ラジオやテレビが登場しても同様のパラダイムは続きます。
アクセスするユーザーが多ければそれだけ力を持ちました。

場合によってはプロパガンダのツールにもなってきたことでしょう。
今もそういった傾向があることは否めません。
しかし状況が変わっていることも事実です。

インターネットの普及とSNSの登場により誰もがメディアになれるかもしれない時代になりました。
既得権益の大きかったメディアはその地位が危ぶまれているとも言えるでしょう。
出版にせよマスコミュニケーションにせよ次のビジネスモデルへの様々な模索がなされていそうです。

同時に情報が溢れてきているのは明らかです。
データ通信が5Gになればさらにそれは加速しそうです。
こういった方向性は潜在データが顕在化可能になるととらえることもできるでしょう。

ただこれは整理されていないものも大量に含むことになります。
要するに玉石混交の状態です。
そうなってくると自分に必要な情報を得る力が必要になると予想されます。

現在でもネットを活用して求めるものを見つけられるかどうかで人生そのものが変わってくるかもしれません。
少なくとも目にする情報を鵜呑みにして踊らされていたら幸せにはなりにくいと推測します。
つまり自分で探して評価して判断して活用する必要があるわけです。

もちろん自分に必要なことを認識して的確な言葉で表現することも求められます。
極端かもしれませんが己を知りその前提に元に主体的に行動することが重要になるのです。
まさにこれは自立の状態とも言えるかもしれません。

当然ながらこれだけが理由というわけでもありません。
しかしここから切り取るだけでも時代の変化はキャッチできると想像します。
このように考えるとそのための技術を学ぶ機会があっても良いのかもしれないと思います。

谷 孝祐
2018.4.17 22:56