入園式で感じた大きな差 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

体験してみれば入園式は貴重なものでした。
職業として従事していなければ人生にほとんどない機会です。
最大で子どもの人数というのが通常でしょう。

もちろん区切れという意味では小中高大と同じ回数のチャンスはあります。
ただそれらとは性質が異なるのかもしれません。
様子を見ていてそんなことを感じました。

そのくらい大きなセレモニーのニュアンスがありそうだと思ったわけです。
こういう類のものは通過儀礼程度にしかとらえていませんでしたが違うのかもしれません。
潜在意識にはきっと影響があるのでしょう。

少なくとも思っているより親元からの別離の作用がありそうです。
それはさておき考えさせられることがありました。
この時点でのインナーチャイルドの差です。

正直なところ驚きと納得が同時に起きたようでした。
そういう層が集まる園なのでしょうか。
一般的にもそんなものなのでしょうか。

ほぼ全ての子がすでに拡大傾向にあるのです。
つまり勝手に膨らむしかあり得ないような状態です。
パッと見た感じでは親子関係にそこまで問題があるようにも見えません。

少なくともその場での関わりはまずまず良好という雰囲気です。
ということでよっぽど理解がないとそうなるのかというのを目の当たりにしたのでした。
ここが集団生活のスタートだとしたら社会性は抑圧によって身につけるものになりそうです。

それ以外の方法は自然発生し得ないように思いました。
こうなると抑圧の上手さが良い子の条件になってきます。
自分がどうであるかよりも周りに合わせることが優先されがちになるでしょう。

そんなことが見て取れたのでした。
ある説では3歳までに大枠の人生が決まるとも言われますがその様子から確かにそうとも言えると実感したのでした。
しかしなぜそこまでになってしまうのでしょうか。

見回してもインナーチャイルドが少ない子はほんの数名です。
結局はバーストラウマに帰結するのかもしれません。
もちろんさらに過去生トラウマにも遡るかと推測されます。

そうなると元も子もない印象にもなりかねません。
いずれにせよ理想には程遠い現実を見せつけられたのでした。
千里の道も一歩からと言いますが淡々とできることを積み重ねるしかないのでしょう。

出生や乳幼児期の重要性はもっと認知されても良いのかもしれません。
とはいえそんなことに意識が向かないくらい忙しい現代社会だということもあります。 まずは大人が余裕を持つところからでしょうか。

谷 孝祐
2018.4.12 18:37