時には主体的に休むことの意味について前回は触れました。
続けていく上でストレスを溜めないことは重要です。
抑圧せずに習慣化するのは一つの技術かもしれません。
これは様々なことに応用できます。
またこの取り組みだけでも自己理解につながります。
おそらく次第にやる気の出ないタイミングや調子の良い条件を掴めるようになるでしょう。
それが分かれば内面の波が予測可能なものになっていきます。
そうなると望ましい心理状態で運動できる確率が上がります。
同時に無理も自覚しやすくなります。
結果的に自然体で取り組みやすくなるわけです。
もちろんこの話題は能力を生かすために運動を通じて体を整えることが主目的です。
しかし副次的な効果も同じ方向へ価値を持つのです。
結果的に自分とうまく付き合う力もつくわけです。
実はこのような一石二鳥を意図することも必要です。
能力発揮に対して脇目も振らず一直線に向かうこととは逆のイメージかもしれません。
当然ながらその方がうまくいく場合もあるでしょう。
しかしこれは対象となるタスクにより異なります。
シンプルなものであれば一点集中のようなスタイルが良いのかもしれません。
まさにそのことしか考えないような状態です。
ただこれが理想化されていることは案外多いように感じます。
のらりくらりと自分の気分の波に揺られることを悪く思う人もいるでしょう。
しかしその中でうまくいけば良いわけです。
ということで意外に一点集中がうまくいかないこともあります。
それはタスクが複雑だったり長期的だったりする場合です。
不確実だったり予測しにくかったりする時も同様だと考えられます。
こういうケースでは俯瞰することやリラックスが求められます。
ぼんやり集中するような雰囲気でしょうか。
一点ではなく多面に意識が向かうとも言えるかもしれません。
タスクの進捗とともに質をモニタリングしながら作業を行いつつ自分の状態も把握してベストなバランスを連続させていくイメージです。
他者が関係すればコミュニケーションも入ってきます。
実は現実的にはこのタイプのタスクの方が多いような気もします。
そんなわけで理想は両方を意識的に使い分けられることかもしれません。
いきなりは難しいですが意外と前者は後者に内包されるものです。
ながら勉強を否定されて育った人もいるでしょうがこれからはながら成功を目指していくと良いのかもしれません。
その練習もかねて軽い運動の習慣化を4割くらいの力加減で取り扱うのも有効だと推測します。
谷 孝祐
2018.4.8 9:37