新たな本に意識を向けた時のことでした。
これは最近になって企画を進めるようになったものです。
感情にまつわる2作目を出版しようという方向です。
この3月くらいになって動き出したものです。
なのでこれからどうなっていくのかという気分です。
内容もまだ決まっていません。
まずはインタビューしてもらってアウトラインを構築していく段階です。
とはいえコンセプトはぼんやり決まっています。
教科書的な『感情の取扱説明書』とは逆方向でしょうか。
できる限り読みやすいようにしていこうという試みです。
編集者とのディスカッションでまずは対象読者のイメージづくりというところかもしれません。
どちらかというと課題解決のベクトルに近い気がします。
要するに巷でよく見るスタイルになりそうです。
だからなのかもしれません。
ふと自分の露出について考えておいた方が良いという発想が出てきたのでした。
指針を具体化しておくというイメージです。
そこには今まであまり前面に出ないようにしてきたという背景があります。
ただ漠然とできる限り露出しないという考えでした。
傷つくのが怖いとかいう問題ではありません。
これはもう10年以上前に向き合いました。
それでもわざわざ出ていく気にはなりませんでした。
よっぽどのメリットがなければ気楽に隠れていたいという気分なのでしょうか。
放っておいてそうなってしまうならそれも受け入れるくらいのバランスだったわけです。
そんな性分というところでしょう。
少なくともそこに意図が介在する余地はありませんでした。
しかしバランスの変化からなのかちゃんと扱うべき課題として浮かび上がったようです。
そこで直視してみると微かに出たくない自分が残っているのがキャッチできました。
残り香のような程度でどちらかというと露出しない方に傾いているという雰囲気でした。
霞のようで実体がない感じなので見過ごしていたのでしょう。
その要素が発見されてまだ完全にはフラットでなかったことを自覚しました。
そもそも幻想のようなものなのでその裏には有名になりたい自分が同程度隠れていると仮定してみました。
つまりどちらかというと露出したい方に意識を向けて揺さぶりをかけたわけです。
すると微視的抵抗感が発現してきてそのあとすぐに消えていきました。
まさに雲散霧消という感覚でした。
これによってそもそも露出という概念が分からなくなりました。
結果的にどちらに触れることもない全く別の場所に立ち位置が変わったようでした。
そしてなるようにしかならないと受け入れられたのでした。
谷 孝祐
2018.4.5 10:28