世界が狭くなった感覚 | 3年前のしこうの楽しみ

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エジプトを飛び立ってふと感じたことがありました。
気づけば3度目ということの影響でしょうか。
それとも潜在的な変化の影響でしょうか。

その両方なのかもしれません。
どことなく世界が狭くなったような知覚がありました。
いうならば海外が今までの国内と同様の認識になってきた状況です。

言い換えれば日本でない場所が自分の世界観に入り込んできたのかもしれません。
そう考えると許容が広がった先に地続きになった何かがあるのでしょう。
いずれにせよどことなくカイロがホームのような感覚も芽生えました。

とはいえそこまで強いものでもありません。
ただ単なる旅行者以上の何かがあるという雰囲気です。
地縁とはそのようなものかもしれません。

むしろ見えない力に引っ張られているのかもしれないとも思います。
とはいえこの変化は今回の旅先に限られものでもないようです。
これは面白いことです。

物理的な距離の影響を受けなくなったのでしょうか。
少なくとも移動時間に発想が縛られなくなった気はします。
そして行ったことのない国も含めて近所とさほど変わらない気分です。

本当にフラットになるとそんなものなのでしょうか。
確実に小学校高学年の頃に感じていた北海道の遠さより地球の全ての場所が近くに感じられます。
こうなると移動という概念も揺らいできます。

もちろん乗っている物体とともに自分も動きはします。
それでも主観的な自覚は止まっているのと大きく変わりません。
極端に表現するならテレポートに時間がかかっているだけと形容できるかもしれません。

当然ながら時間がかかれば体は疲れもします。
しかしその事実が存在しているだけという印象です。
つまり原因とは関係なく知覚されるということです。

心理的反応が極限まで減るとこういうことが起きるのでしょうか。
場所に影響されにくくなっている気はします。
結果的に3年前でも受け入れられなかったと思われる環境も楽しめるようになっています。

これは全てを現実として日常の延長としてとらえさせてくれるのかもしれません。
だからなのでしょうか。
何となく文化や歴史に対する興味の質も変容している様子です。

ほとんど関係ないものも自分ごととしてとらえられる度合いが上がっているのです。
よりグローバルな視野が持てるようになったということと理解しましょう。
これも必要あってのことだと解釈します。

今後の流れを楽しみながら見守っていきます。

谷 孝祐
2018.3.14 0:46