流れるままに出てきた次なる課題 | 3年前のしこうの楽しみ

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成塾のスライドと共に出国前に済ませたいものがありました。
それは来月の論理学勉強会のレジュメです。
この二つを終えて晴れてパソコンを置いていける状況でした。

なぜなら帰国後すぐにそれらの日がやってくるのです。
しかもスケジュールが詰まっています。
なので帰ってきてからという選択は一番避けたいものでした。

ただ当初は諦め気味だったのでした。
そもそもこんな短期間でこれらを仕上げたことはありません。
実質的に2日しかありませんでした。

単純にパソコン一つの問題です。
移動時間も長いので持っていけば確実にできることです。
飛行機の乗り換えも8時間ほどあります。

なので拘るほどのことでもありません。
以前の自分であれば素直に降参していたことでしょう。
良くも悪くも理想をいち早く手放していたと推測されます。

ちなみにそのレジュメに取り掛かれたのはほぼ1日前でした。
といっても自分を鼓舞したわけではありません。
できるかどうかは全く気にせずに手をつけたのでした。

これは思い返せば面白い感覚です。
ある意味において気楽にということかもしれません。
しかし実際にはそういう感じでもありませんでした。

何か力がかかった雰囲気ではなかったのです。
自然体ということなのかもしれません。
おそらくここにもベストの在り方が影響していたことでしょう。

やる気があるわけでもないわけでもない様子でした。
いうならば暇だからやっておこうかというくらいのバランスだった気がします。
もちろん実質的にそこまで余裕があるわけでもありません。

とはいえ潜在的にはパソコンを持っていかない以上の意義を感じていたようにも思います。
とにかく済ませることがベストであることに自己一致していたのでしょう。
ちなみにここまでの感覚は初めてでした。

以前は一致感からクリアなパワーが出てきて動ける様子でした。
それもなかったのです。
まさに淡々とということかもしれません。

のんびり気の向くままやっていた体感です。
もちろん焦りもありません。
そんな感じだからなのか予想より時間もかかります。

それでも川が流れていくかのようになすがままという気分で心地よさがありました。
この自覚ができた時にふとキャッチしたことがありました。
今まで全てがうまくいってしまうことに無意識の抵抗があったようです。

自分のものとも集合意識の影響とも言えない感じです。
何か重要な課題なのでしょう。
掘り下げでそこへの許可を出していきたいと思います。

谷 孝祐
2018.3.1 3:28