人類が争いに向かう理由 | 3年前のしこうの楽しみ

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同じ島にてもう一つ思うところがありました。
それは長年の疑問に対する答えでもあります。
ただそこまで解決を目指していたものでもありません。

中学生の頃に何となく意識化して以来というもの薄っすらとあったものです。
そしてその答えの一端はすでに得ていました。
バーストラウマの存在を知った時にひとまず解決したわけです。

しかし完全に納得できたわけではなかったのかもしれません。
一抹の不足感が残っていたのでしょう。
今回はこれが爽やかに取り去られた様子でした。

なぜそこにつながったのかは分かりません。
とはいえこの場所の歴史が刺激になったのでしょう。
元々の国がなくなったところなのです。

文化はどことなく残っているもののその核は失われたのかもしれません。
その面影すら感じさせないような状況です。
ちなみにその疑問はなぜ人は争うのかという内容です。

この前提にはすでにもうその必要はないという感覚があります。
現代社会では誰かから奪う必要がない段階まできていると推測されるわけです。
しかし大小の争いが絶える兆しは見えないように感じられます。

戦場がビジネスの世界に移っただけのようにも見受けられます。
生き残れるように頑張るのは当たり前のことかもしれません。
もちろんそれを否定するわけでもありません。

でも不要な戦いは避けたいものです。
とはいえこの部分が大きなヒントになりました。
事実勝たなければ生きられない時代もあったでしょう。

種における優勢形質が残っていくことからもこれは理にかなっています。
そうでなければ人類は淘汰されていたかもしれません。
ということはこの習性は遺伝子なのか集合意識なのかに刻まれている可能性が高いでしょう。

こうなると好戦的な性質が変わるのは簡単ではないと理解できます。
長期にわたってそれは必要であり有利であったわけです。
そこにエゴが有用であることも確かです。

そうであるなら戦わずして生きていく在り方は新人類なのかもしれません。
今はその移行期でありせめぎ合いの時期なのでしょうか。
なかなか面白くも難しくもある時代だと感じます。

ひとまずそこに向けてより深い自覚を得ていきたいと思います。
マクロな視点でも環境に合わせた在り方の重要性を改めて受け取ったのでした。

谷 孝祐
2017.11.29 20:51