ある島にいてふと感じたことがありました。
そこはあまり歴史のあるところではありません。
少なくともそういうことになっています。
18世紀に発見されて以来の範囲です。
それまでは原始的な社会だったようです。
日本でいう縄文時代のイメージでしょうか。
人が住み始めたのも6世紀くらいとのことです。
その頃に南洋から移り住んだところからのようです。
かといって現在も遅れている印象があるかというとそんなことはありません。
ビルが林立して都会的な雰囲気です。
現代的な生活を送るのにも何不自由ないでしょう。
手に入らないものもほぼなさそうです。
スーパーマーケットには食材も充実しています。
オーガニックのものも日本以上に手に入りやすそうです。
ショッピングモールでは超一流ブランドのショップが軒を連ねています。
もちろんレストランもたくさんあります。
ということで昔の生活が残っている雰囲気はありません。
一時期はシャーマニズムの隆盛もあったようですが神聖な場所もちゃんと残っていない様子です。
侵略されて破壊されてしまったのでしょうか。
それもあるようですが単純に形骸化したという状況もあったようです。
ただ人々の心の中には生き続けているという情報もあります。
とにかく近代化というか現代化が異常な速さで進んだのは確かでしょう。
世界でも極めて珍しい場所なのかもしれません。
長い前置きはさておき感じたのは史実の信憑性です。
本当に歴史は浅いのかというところです。
もし何も残さないことを美徳とする文化があるとしたらそれは後世に発見されにくいでしょう。
物理的に発掘されるものがなければそれはなかったものとされてしまうわけです。
しかしそういった社会が有史以前にたくさんあったとしても不思議ではありません。
アトランティスは伝説として有名ですがそれ以外にもあるのかもしれません。
伝承すら残さない国があったとしてもおかしくはないわけです。
なぜなら高度に精神性が高ければサステナビリティを重視する傾向がある気がします。
完璧な循環型社会が成立するのであれば生きた足跡を残すことはそれに背く可能性もあります。
あくまでこれは検証しえない仮説です。
しかし現代人が知覚できる範囲を歴史とするのもいかがなものでしょうか。
もちろんそれは蓋然的な事実として受け止めることは重要でしょう。
一方でそれを絶対的な真実とすることもおかしなことかもしれません。
分かった気になって安心するよりも分かることの限界を認める大切さを再確認したのでした。
谷 孝祐
2017.11.28 18:20