空白の時からの出会い | 3年前のしこうの楽しみ

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今週はじめのことです。
珍しく空白の時間ができました。
ここ数年は隙間にも予定が入ってくるものです。

人と会わないにしても進めるべき作業があることも多いものです。
これもスケジュールに入れておかないとまずいことになるのである程度計算されています。
例えそうでないとしても子どもと関わることに費やされるでしょう。

ちなみにこれすら空き時間にというイメージではありません。
こう考えてみると主観的な感覚と客観的タイトさは随分乖離がある気がします。
ということで事前に方向づけされていない時というのは皆無に等しいです。

まずはそれを自覚させられたのでした。
だからといって何ということはありません。
これについて意味づけもなく少なくとも合っていないスタイルではないわけです。

意外と一致感があるようにすら感じます。
それはさておきこの事実に気づいたのは当日の朝でした。
この日はあまり馴染みのない土地での用事でした。

それが夕方に済んでそのまま帰宅しても誰もいない状況でした。
こんなことは1年に1度あるかどうかという機会です。
そういったわけでどうしようかと思索が巡りました。

ちょっとした非日常感です。
あえて無駄をしてみても良いかという気になりました。
最初は北陸をまわってお寿司でも食べて帰ろうかと思いました。

ただイマイチ芸がない感もあります。
ちょっと無駄さが足りないというところなわけです。
なので最大限に意識が向きました。

ここで思いついたのは本州を新幹線で逆行して福岡から飛行機で帰るという案でした。
しかしそこまで余裕があるわけでもありません。
翌朝の約束からどこかに泊まる選択肢もなかったのです。

移動するだけでギリギリ間に合わなさそうな雰囲気でした。
結局やりたいと思える選択肢は出てきませんでした。
そして何も決まらないまま夕方になりました。

駅に着くとあたりは暗く帰宅ラッシュの様子でした。
どっちに行くのか決まっていなかったのでひとまず座れる電車に乗りました。
何も事前情報がないのでとりあえず新幹線の駅で降りました。

このまま乗り継げば何もせずに帰ることになりました。
それが嫌なわけでもありませんがこの日はまだ食事をしていなかったので良さそうなお店が見つかったら食べて帰ろうと思いました。
ところが昔からの繁華街はその界隈でなく少し歩き回っても魅力的な郷土料理には出会えなさそうでした。

百貨店のレストラン街で何もなければ今日は断食かと決め込んで散策しました。
何と奇遇なことでしょうか。
ここで以前訪れたことのある北陸の有名料亭の関係のお店が見つかりました。

カウンターで気楽な美味しさを楽んだのでした。
どこか最初の思いつきが形を変えて実現したようで面白い体験でした。
無策のままふらふら動くことから生まれる共時性をしばらく忘れていたと気づいたのでした。

谷 孝祐
2017.11.1 18:40