今回の選挙は個人的に注目度の高いものでした。
これは思考レベルというより感覚的なものです。
どことなく流れの上で重要だということなのでしょうか。
時代の転換点になりうるということなのでしょうか。
そういったことを感じていたのかもしれません。
だからといって入念に公約を調べるようなことはありませんでした。
投票直前に軽くチェックした程度です。
本気で吟味するようなこともありませんでした。
良く言えば直感的判断というところなのかもしれません。
ただそれはどこか不一致でもあるでしょう。
感じていることと主体性がつながっていないのです。
どこか関係ない世界の話題に感じている要素もありそうです。
そして世の中には同じような人も多い可能性はあると感じます。
政治に関心があったとしてもそれはあり得ることなわけです。
自分なりの意見はありつつどこか諦めが内在するのかもしれません。
その1票に意義が見出せている人はむしろ少なそうだとも思います。
こういった部分に意識が向いたところから思考が展開しました。
出発点は民主主義は実現していないのではないかという疑問です。
よく考えれば政治の世界を自分と関連づけてとらえられる人は多くないのかもしれません。
この動きが自分の生活にどのように影響があるのかをイメージすることは容易ではなさそうです。
それなりに論理展開できなければ推測しにくいものです。
そうなると北朝鮮問題などの分かりやすい事象の影響度が高まります。
また個々のマインドに十分な価値観が形成されていないことも考えられます。
国政に対する意見を表現するのであればそれが前提となるでしょう。
しかしそれなりに学んでいなければこれも簡単ではないでしょう。
国家レベルのことに言及するならそれなりのトレーニングが必要なわけです。
ということで判断基準が曖昧な人も多そうです。
こうなると主体的な参加は難しくなります。
結局のところ知り合いに頼まれたといったような票が多いのかもしれません。
もしくは帰属している組織に合わせることもあるでしょう。
この状況で民主と言えるのでしょうか。
民が主たる時代にはまだまだプロセスが長そうです。
それには自立した社会の形成が前提になるでしょう。
谷 孝祐
2017.10.24 9:52