前回は決めることの重要性について触れました。
これが能力発揮と健康の両方を実現するベースだということです。
そんなわけで内容はともあれ決める力をつけていくことは意義あることでしょう。
つまりちゃんと決めてから動く感覚を身につけることが大切だというわけです。
ということで定義の再確認です。
決めることは他の選択肢への気持ちを残さないことでした。
それは選択する対象が当たり前であり他はあり得ないという状態です。
この意味を理解して実践できるのであれば現実を動かしていくことができます。
もちろんすでにそれが当然になっている人もいるかもしれません。
しかし実際にこれを身に付けるのは容易ではないという可能性もあります。
生まれてこの方そこまでのテンションで決めたことがなければ当然でしょう。
昔を振り返ってみて進路選択などの大きな決定はどうだったでしょうか。
目の前の日々の小さな選択はどうでしょうか。
案外決めているようで流されている性質が大きいこともあるものです。
この理由は自己不一致な部分にあるのかもしれません。
なぜなら様々な意見が自己の内部に混在しやすいためです。
こうなると迷いが生まれて決めにくい状態になります。
例えばその決断にタイムリミットがあるとしましょう。
そうなると仕方なく選ぶということも起きてくるものです。
タイムオーバーということです。
あまり意識されることもないかもしれませんがこれは多い現象なのかもしれません。
加えて実際にはリミットのない選択というものも少ないのかもしれません。
だからこそ幼少期から未決定の蓄積を起こしているのかもしれません。
そして時間切れで決められないまま流されている状態が定着するのでしょう。
こういった循環によって本当に決めるチャンスは極めて稀なものになっていきそうです。
つまり決めた体験がないまま大人になる可能性も十分にあります。
そうとらえてみると親がこのサポートをしてくれたかどうかが分かれ道になる気がします。
幼少期に自主的な選択を促されて決めるまで待ってもらえた経験があるかどうかということです。
もちろんその結論が否定されないことは言うまでもありません。
間違っていても信頼して見届けるかうまく気づかせてもらえれば弊害がないわけです。
このように考察してみると決める力が自然に身につくことは珍しいようにも感じます。
谷 孝祐
2017.10.22 14:47