この回想記もこの回を入れて残り3回となりました。
約2年にわたり若かりし頃に意識を向けたことになります。
それは些細なことを思い出して自己理解を進める良い機会になりました。
この内容で書き始めた当初はここまでネタが出てくると思ってもいませんでした。
実際のところまだまだトピックはあるという印象です。
最近の高校時代についてもポイントを絞っている状況です。
しかしキリが良いところで切り上げる方が望ましい気がします。
その方がパッケージとしてまとまり記憶を1セットにしやすい感覚があるためです。
そんなわけで煩悩ではありませんが108回で手放すことにしました。
さて今回は吹奏楽部の話題に戻ってきます。
最上級生になって役職ぎめがありました。
自分は2年まで学年リーダーだったので順当にいけば部長でした。
ただこれはあまり得策ではありませんでした。
そもそもコンクールで県代表になれるからということで妥協案として選んだ高校でした。
それなのに2年連続で県大会で敗退していたのです。
なのでせめて3年の時くらいはという想いがありました。
また原因はさておきこれには個人的に納得いかないことがいくつかありました。
少しでもそれを改善したかったものです。
そのためには音楽指導を自分が行う必要がありました。
そうすれば部長よりも直接的に演奏のクオリティに関与できるわけです。
この辺りのことを同学年の仲間と話し合いました。
結果を出そうということには意見が一致していたので話は簡単にまとまりました。
こんな流れでコンサートマスターという役に着きました。
要するに学生指揮者です。
練習や選曲に関する責任者というところでしょうか。
チューニング(音合わせ)から基礎的な合奏がメインの役割です。
とはいえ先生が来ないことも多く曲の合奏もかなり受け持ちます。
そんなわけで音楽に関してほぼハンドリングできる立場だったわけです。
そうして練習メニューの改革が始まりました。
効果や効率を優先したイメージです。
そこで真っ先に取り入れたのがソルフェージュ(基礎的な歌)です。
中学時代の踏襲ではありますが音感を高めるのに重要だと考えていました。
同時に過去の体育会系の雰囲気も変えていこうと取り組みました。
努力主義から成果主義に向かった様子でした。
ただこの動きは先生に受け入れられないものでした。
そんなわけで顧問の先生とは決別気味の自主組織になっていったのでした。
谷 孝祐
2017.7.21 17:35