大学院に論文を提出してきました。
お金のトラウマ改善プログラムの第1ステージまでをまとめたものです。
期限まであと数日残していましたが実質的にはギリギリでした。
自分にとって提出できる最終日だったのです。
その日を逃すと遠方に出かけていて持っていけないスケジュールでした。
これを逃すと郵送でしか出せなかったわけです。
そんなこともありちょっと迷うことがありました。
それはその日に出してしまうかどうかという問題でした。
のんびりしていたこともあり結局理想的なところまでは進められなかったのです。
誤字脱字や指摘された部分を修正した後に通読しようと思っていました。
自分で最終チェックして必要な微調整があればそれを行おうと考えていたわけです。
そこまでやったらやりきった感じでした。
しかしこの日に提出するなら不可能になってしまいました。
参考文献の整理や一緒に提出する書類作成などで手間取ってしまったのです。
加えてプリンターの不調によりプリントアウトもスムーズにいかない状況でした。
結局のところ最終確認しないでそのまま出すか郵送にするかという選択肢になりました。
即座には判断できないのでひとまず大学院に向かう車の中で思考を整理していきました。
そのくらい時間の余裕がなかったわけです。
そこで感じたのは最終確認は自己満足の範疇ではないかということでした。
これをしたからといって評価が変わる可能性は低いものです。
すでに複数の人に読んでもらっているので大きな間違いはないと推測されます。
客観的にはむしろ他者による確認の方が重要でしょう。
自己一致するように最終調整した結果分かりにくくなる可能性も否定できません。
また郵送には不確実さが残されます。
本当の期限までに絶対に届くとは言い切れないわけです。
そうやって考えると最終確認は最後の悪あがきのような気がしてきました。
さらに郵送にしたとしても睡眠時間を削らなければ十分な確認はできません。
この頑張りは今までの論文との向き合い方と反するものです。
適当な距離感でリラックスしたまま書いてきた状態を崩すことになるわけです。
ということでその流れのまま終わった感もなく提出してきたのでした。
結果的に理想となる完成ライン手放すことになったのでした。
おかげで日常の延長で終えたのかどうかの実感もありませんでした。
たんたんと進んでいくのにはむしろこれでよかったのかもしれません。
谷 孝祐
2017.7.20 11:51