夢砕かれた話題です。
高校に入ってからしばらくは音大志望でした。
ホルン科に進学しようと思っていたわけです。
それは自分の中で決めきっていたようなものでした。
そんなわけでどこを受験するかも1年の段階から模索していました。
かなり真剣に様々な可能性を調べていました。
留学もしくは地方に行くことも考えていました。
いずれにせよ準備は必要なのでホルンレッスンにも行き始めていました。
そういうこともあり学校の勉強がおろそかになっていたのでしょう。
とはいえ吹奏楽部においてそれは珍しいことでもありませんでした。
以前にもそういう先輩が何人もいたわけです。
その中からプロで活躍している人も教えにきてくれたりしていました。
当然というのでしょうか。
どうせだったら日本で最高峰の藝大へという気持ちもありました。
いつぐらいのことだったでしょうか。
高1の後半から高2の前半くらいだったかと思います。
それが実際に可能なのかどうかということを判断してもらう機会がありました。
受験科目にはホルン実技以外にも基礎的な科目がありました。
その中で音楽理論は自信があったもののそれ以外はよくわからなかったのです。
ということでその道の先生に会いにいったのでした。
具体的にはピアノと聴音とソルフェージュ(基礎的な歌)でした。
それはなかなかの緊張でした。
しかし自己認識よりはマシだったようでした。
順調に勉強していけば現役でも基礎科目は間に合うということでした。
それは安堵とともに非常に嬉しいことでした。
ただ同時に問題も持ち上がりました。
それらのレッスンを真剣にやるとなると月10万くらいはかかったのです。
もちろん親には交渉しましたがそこまでは出せないとのことでした。
一般的にいうなら予備校に行かせられないというようなものです。
通常の受験と同様にこの対策は重要視されていました。
なのでそれが不可能だということでどこか絶望感も味わったのでした。
今思えばそれで諦める必要はなかったのかもしれません。
ところが当時は独力で受験してみようというほどの発想はありませんでした。
そこからお金のかからない方法も探しましたが魅力をいまいち感じられませんでした。
どうしても代替案で希望が持てなかったのです。
そういったわけで半ば音楽家の道は閉ざされたのでした。
谷 孝祐
2017.7.15 23:49