久々のバーストラウマへのフォーカス | 3年前のしこうの楽しみ

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残りあと少しになってきたからでしょうか。
気づけば今月を振り返る意識が働きました。
毎月そういうわけでもありません。

どちらかというと珍しいことです。
それくらいの変化があったということなのでしょうか。
実感はないもののそんな気もします。

ということで少しちゃんと見つめてみることにしました。
思い返せばバーストラウマというトピックが顕在化した月だった感じがあります。
その直接的な原因は心理学勉強会でフロイトがテーマになったことからでした。

彼がそれを語ったわけではないもののその論理はバーストラウマがある前提で成り立っています。
当然といえばそうでしょう。
多くの理論はそういったものです。

ただこれによってその重要性が浮き彫りになったのでした。
フロイトはほとんどの人が精神的に健全でない要素を持っていることを暗に示しています。
もちろん明確に書かれているわけではありません。

とはいえその成長モデルを多くの人に当てはめると何らかの問題があると伺えるのです。
ある意味において理想的なクリアな状態を健全と定義している印象です。
そしてここで扱われる問題の根本原因がバーストラウマであることが推測されます。

そもそも抑圧が問題を生み出すということですがその対象となる欲動の原因がそれにあたるだろうということです。
一定レベル以上バーストラウマが強いからこそ抑圧すべき欲動が生まれるというジレンマです。
それが解決されずに蓄積して人生を困難なものにしていくイメージです。

しかしこのレベルは一般的な範疇であると考えられます。
端的にいうなら自分の出生をポジティブにとらえられていれば問題が少ないというラインです。
言い方を変えると自己承認ができている状態が必要だということです。

こういった思考が働きつつ世の中を見渡すと社会問題の根元にもそれがあるように見えてきました。
バーストラウマによる分離感が内面的に競争を生み出し敵を必要とするわけです。
この表現形態が種々の問題となるわけです。

こうやって考えると人類の課せられた現在の課題はバーストラウマを乗り越えることなのでしょうか。
そうであるなら問題はシンプルなわけです。
ここまできて過去の自分と繋がりなおしたかのような感じがしました。

新たに生まれたかのようなこの視点ですが実はそうではないのです。
この概念を知った10年ほど前にはすでに認識していました。
だからこそ自分が今の分野に関わる意義をとらえたわけです。

こうなると何だか出発点の記憶が掘り起こされて再スタートになってしまう気分です。
ブレずに問題解決に微力ではあるものの尽力しようと思います。

谷 孝祐
2017.6.25 11:06