今の自宅に引っ越してからまだ整っていないものがありました。
なくても大きな支障がないものはそうなりがちです。
ゆっくり選ぶ時間がなかったというのも理由かもしれません。
部屋やイメージに合ったものを探すのは案外労力がかかります。
しかしある時そろそろ買おうという話になりました。
これはダイニングのライトです。
ダイニングテーブルの上についていなかったのです。
ダウンライトを追加で設置していたこともありそれでも平気でした。
ただ子どもと食事しているとどことなく暗さを感じます。
そんなわけで重い腰を上げた形になったのでした。
その気になると早いもので資料を取り寄せて数日で決まりました。
設置の日まで打ち合わせしてひとまず完了というところでした。
この流れで子ども部屋にもライトをつけようと思いました。
現状はほぼ寝るだけの場所なのでこちらもダウンライトのみだったのでした。
イメージはそれと同程度の明るさのシーリングでした。
要するにダウンライトがもう一灯あれば十分ということです。
ということでこちらも資料を入手しました。
そしていくつかに絞り込みました。
最終段階で決めかねていてふと子どもに選ばせようということになりました。
こちらも絶対にこれが良いという希望があるわけでもありません。
なのでかなりフラットな提示でした。
両親が絞った選択肢のどれが良いかと尋ねました。
するとその中にはない一番高価なものを指差しました。
これには驚きました。
ちょっと風変わりなデザインでつけてみないと合うかわからないものです。
本心かどうか確かめるために母親が尋ねました。
そうすると答えが変わって母親が選択肢に入れたものを選びました。
全くと言ってよいほどコントロールや期待はありませんでした。
それでも非言語で伝わって母親に合わせるのだということを目の当たりにした気分でした。
これでは自分で選んだことにならないので何度もやり直しました。
いずれにせよそのいずれかか取り付け図しか指をさしませんでした。
これでは決まらないので取り付ける場所を見ながら選んでもらうことにしました。
そうすると実感が得られたのか最初の高価な選択から曲がらなくなりました。
想像を遥かに超えるほど母親の意識に合わせようとするものだということを認識したのでした。
ちなみに残念ながら父親のあげたものには見向きもしなかったのでした。
谷 孝祐
2017.3.18 20:16