急展開で進学する高校が決まってひとまず良かったというところでした。
時期はまだ12月前半のことです。
なので誰よりも早く受験が終わったというところでしょう。
おそらく1番だったのではないかと思います。
少し経つともう1人吹奏楽部の推薦で決まった友人が出た程度でした。
そんなわけで特に受験勉強をすることもなかったわけです。
ということで周りとは温度差ができていたのかもしれません。
ほとんど全員が入試に向けての追い込みという時期です。
しかし自分はそれまでと変わらない生活でした。
当然ですが毎日後輩とともに練習にも参加していました。
ある意味において空白の時間というところなのでしょうか。
やらなければならないこともなければ何か指示されることもないというところです。
練習といっても下級生とは別枠なので個人的にやりたいことのみをやっている感じでした。
あえて言うなら体面上において授業をサボるのは良くないという程度でしょう。
周りへの配慮として進路が決まったからといって羽目をはずすのは望ましくなかったわけです。
といっても何かストレスがあったわけでもないのでわざわざそんな気も起きません。
またそこに巻き込んでくるような友人もいません。
なので淡々と日々が流れていった気がします。
ちなみにここまで縛りがない状態は初めてでした。
全ての大人から完全に放置されているかのようでした。
もちろん寂しいとか悲しいということもありません。
ただ自分の役割のなさに戸惑いはあった記憶があります。
同じ場所にいるのに違う世界からみんなを眺めているような感覚がありました。
ということでこのタイミングである種の自由を体験できたように思います。
かといって喜ぶわけでもありません。
何となく根無し草のような気分を味わいつつこれで良いのか疑問をもったという様子です。
今になって思い返してもふわふわ浮いているような別の器に移されたような感じがあります。
ただこうやって回想をしているとひとつ推測が生まれました。
この時は集合意識への帰属が弱まっていたのではないのかと思うわけです。
この視点は持ったことがありませんが何となくしっくりきます。
もしかしたらこれは一般的な社会の流れから外れることが決まった時期だったのかもしれません。
若くして理想を手放し現実的に可能な範囲の選択を取らざるを得なかったことはこんな副次的効果をもたらしたのでした。
谷 孝祐
2017.1.6 18:07