中学に時の吹奏楽コンクールにまつわる最大の思い出といえばやはり最終学年でしょう。
部活に打ち込んだ人は誰しもそうなのかもしれないと思います。
中2の時に関東大会に出られたこともあり期待感がありました。
それは指導をしてくれる先生方もそうでした。
各セクションにスタープレーヤーがいて力量も十分との評価でした。
そんなわけで課題曲も自由曲も難曲への挑戦となったのかもしれません。
前年とは要求される技術レベルが別次元だったように思います。
ということで練習にもさらに熱が入ったことでしょう。
自分もそんな中の1人でした。
運営面でも役者が揃っていて組織がちゃんと機能するようになっていました。
後から思い返すとこの要素は合奏体としての技術向上にも寄与していたと考えられます。
構成員個々が主体的かつ協調的に働くことは良い演奏を作る上で重要な要素でしょう。
そういう様々な観点からこの年は過去のどの時よりも優れていたようでした。
鼓舞するためだった可能性も否定はできませんが多くの大人がそういう評価をしていたのでした。
それは本気で全国大会を目指すという方向づけを確固たるものにしたのでした。
ゴールデンウィークには全国大会常連校とも合同練習を行い刺激を受けたのでした。
この時の先方の先生の評価もすでに関東大会でどうするかという話題でした。
そんな中で迎えた地区大会は異常なほどの高得点でした。
ほぼ満点に近い見たことも聞いたこともない点数だったのです。
これは他を寄せ付けない圧倒的な結果でした。
だからと言って浮かれることもなく通過点という認識でした。
そしてこの時にある懸念が生まれました。
県大会の演奏順が次点で涙をのんだ2年前と同じになってしまったのです。
何番目に演奏するかはコンクールの結果に影響する重要な要素なのです。
部長である自分がクジを引いたので非常に責任を感じたのでした。
とはいえ文句なしの演奏をすれば良いわけでそこを目指すことになったのでした。
なので夏休みは重箱の隅をつつくような緻密な練習が続いたのでした。
こうして迎えた県大会当日ですが演奏は細かいミスはあるものの十分な内容でした。
指導陣も心から満足のようで代表確実とのフィードバックでした。
しかし残念ながら懸念が当たってこの年も次点で敗退となったのでした。
今では先生も含めた全員がバスで泣いて帰ったのが良い思い出です。
どんなに努力してベストなアウトプットをしても評価されないことがあると学んだのでした。
これは自分の人生において幻想に入りにくくさせたという重要な意味をもっています。
中2と中3のコンクールでの体験のギャップは現実というものを受け入れさせてくれたのでした。
谷 孝祐
2016.9.30 12:00