価格設定の変化球 | 3年前のしこうの楽しみ

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お金のトラウマの改善プログラムを考えている時のことです。
ふと価格設定に意識が向きました。
そしてまだまだ自分がお金にとらわれていることが認識されました。

なぜなら価格設定は金額で表すものという固定観念に縛られていたからです。
値段をお金という価値観の数値で表すものと捉えていたわけです。
しかしふと気づけばそこに囚われる必要もないように感じました。

あくまで価値交換における対価が何であるかということを明示すれば良いわけです。
提供するものの価値がどのくらいであるかということを表現できれば十分だということです。
なので物々交換のような発想もありでしょう。

あるサービスの提供にあたりコーヒー豆を1kgで実施するという発想もあり得るということです。
結局のところ価格設定の本質は対価を自分から伝えるということなのでしょう。
このようにとらえると価格の柔軟性は上がるように感じます。

とはいえ現代社会においてお金を価値尺度とするのが通常です。
ということで結局のところ金額で表すのが妥当ということになりがちだと思います。
なぜなら多くの人が共通してお金に価値を見出しているからです。

つまり伝わりやすい表現だということです。
ただ国によっては2つの通貨単位で価格が表されることもあります。
例えば現地通貨と米ドルなどというイメージです。

この場合はどちらの通貨で支払うことも可能な場合が多くあります。
そしてそのレートはいい加減だったりもします。
大概は現地通貨建てがお得ですがそれも絶対ではありません。

このような状況から考えると2つの価格設定もあり得ると言えます。
片方が金額でもう一方が物で表現されるという可能性です。
2000円もしくはブルーマウンテンの豆を100gなどといった具合です。

これは半ば遊びのようなものかもしれません。
ところがこういうパラレルな発想は縛られないためには重要でしょう。
それだけでなく価格設定の感性が高まることに寄与するとも考えられます。

もしくは値付けが苦手な場合はこの方法から入るという展望もありでしょう。
いずれにせよこういった思考の柔軟性は保ちたいものです。
そういった人が増えるとお金に縛られない社会に変化するのかもしれません。

谷 孝祐
2016.9.16 18:54