時差ボケは幻想なのか | 3年前のしこうの楽しみ

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無事に帰国しました。
毎回の積み重ねで慣れていくものなのでしょうか。
13時間のフライトもそこまで長くは感じませんでした。

だいたいの過ごし方の定型が決まってきたということもあるでしょう。
特に考えたわけではありませんが同じような時間の使い方になってきたようです。
まずは食事しながらワインを飲みつつ音楽を聴いて3時間ぐらい過ごします。

そうするとだんだん眠くなってきます。
なので5~6時間くらい睡眠をとります。
まどろんでいる程度のこともありますがダラダラとしています。

するとあるタイミングで思い立ったように目が覚めます。
そして1時間ほど水やお茶を飲みながらぼーっとします。
ここから仕事や考えておくべきことをします。

そうしているうちに到着前の食事になります。
それが済むともう1~2時間で着陸です。
長距離フライトではこのスタイルが自分に合っているのでしょうか。

以前よりも時差調整がうまくいっている気がします。
今回はNYを18:00くらいに出て成田に21:00くらいに着く便でした。
時差が13時間なのでNY時間であれば翌朝7:00となります。

そのため飛行機に完全に1泊する感じになり時差ボケがひどくなりそうだと考えていました。
しかし懸念するほどのこともなく帰国後も寝れないということもありませんでした。
時差についての認識と過ごし方の習慣が無意識的に体を調整しているのかもしれません。

もちろんちょっと寝不足気味のような感じはありますが強いものでもありません。
おかげで初挑戦となる帰国後の登山にも影響なさそうです。
もちろんこのチャレンジは意図的に組んだわけではありません。

ただ潜在意識はその必要性を感じていたのでしょうか。
これでいつも通りの感じで登れれば収穫となることでしょう。
時間の観念から意識がより自由になれる気がするのです。

このように考えていると時差ボケというのも一つの固定観念かもしれないと思えてきました。
単純に感覚が日本時間や時刻に対する意味づけに縛られていただけのことなのかもしれません。
だから結果的に体にも時差の影響が大きく出るという可能性はありそうです。

少し極端な推察かもしれませんがこれが不調を助長することはあるでしょう。
時間という概念ではなく太陽と自分の位置関係で生活サイクルを感じてみることとします。
そのくらいのフレームでとらえていた方がその土地の自然のサイクルに共鳴しやすく結果的に時差というものを感じにくくなると推測します。

谷 孝祐
2016.9.10 14:04