人生で一番寒い露天風呂体験 | 3年前のしこうの楽しみ

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寒さの感じ方について考えていてもう一つ新たな視点が生まれました。
それは露天風呂に入る時のことでした。
もうすでに夜も更けている静かな時間帯でした。

いつものようにシャワーで体を流して外に出ようと思いました。
そしてドアを開けました。
もちろん裸です。

一歩踏み出すと想像以上に気温が下がっていたようで石の床は冷たくなっていました。
氷のようだと言ったら言い過ぎですがそう感じる人もいそうなくらいです。
外気温はあとからの推定ですが零下10度くらいにはなっていたことでしょう。

なぜなら翌朝7:30くらいの気温が零下15度くらいだったためです。
そこまでだと思わないまま少しかかとを浮かして歩いて湯船に浸かりました。
この寒さだときっと入るのを諦める人もいることだろうと思いました。

しかし今まで体験したことのないくらい湯気が立っていて風情はありました。
またすぐに温まりきらないのでいつもよりもゆっくり入ることができました。
実際に湯温も普段よりはほんの少しですが低いようでした。

この時ふと気づいたことがありました。
以前を思い返すと冬に裸で外に出るこのような状況では体が硬直していたはずです。
体が即座に反応して固まっていたということです。

そして温泉に入ると緩んでいった記憶があります。
ところが今はそれがありません。
寒さは感じるものの体のリラックス状態に自覚できるほどの変化がないのです。

そこである推察が浮かんできました。
心が反応していなければ寒さに対する体の反応も遅れるではないかということです。
反応がなければすぐには血流も変わらず末端まで状態が保たれることでしょう。

結果的に即座に極端に寒さを感じることもないでしょう。
もしずっと冷えた場所に身を置くなら次第に寒くなってくるというイメージです。
よく考えればその方が物理現象として自然とも言えるのかもしれません。

熱は無段階的に奪われていくもので時間の経過とともに変化していくはずです。
つまり一瞬にして冷やそうと思ったら極端に冷やす必要があるということです。
このことは飲み物を冷やしたいと思って冷凍庫に入れても一瞬では不可能だということからもわかることです。

このように考えていて一般的に起こる寒さに対する反応は心が主導であるとも言えそうに思ったのでした。
当然のことながら限度はあるでしょうが体感温度というものは思いのほか気分の影響が大きいものなのかもしれません。

谷 孝祐
2016.1.26 23:25