心と体の連結部への新たな意識 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

昨日、飛行機に乗って東京に戻りました。
搭乗して席に着くとふとあることに気づきました。
特別なことでもありませんが、今年のラストフライトだったのです。

思い返せば例年通りとはいえ、よく利用したものだと思いました。
自分の中で何らかの意味づけがあったのでしょうか。
心なしか感慨深い気もしました。

とはいえ、年が明けて数日もすれば次の機会があります。
なので、そんな感じがすることも不思議な気分でした。
こんな些細なことでも区切りというものの影響があるのかと思いました。

そして、それが関係あるのかないのかは分かりませんがある意外な知覚が生まれました。
何となく今年を振り返る方向へセットされた意識が今の自分の状態へも向いたのかもしれません。
このレベルまで細分化して感じられたのは初めだと思うほど自分の状態が明確にとらえられたのでした。

それは少し風変わりな様子でした。
感情や心の領域の状態は一様で透明な印象なのに、それらと肉体の仲立ちとなる部分では濃淡があるようでした。
そして、その濃い部分は滞りといっても言い過ぎではないくらいでした。

これは我ながら興味深く思いました。
なぜなら、通常であれば心などの滞りが肉体に伝わっていくモデルで考えられるのですが、それではこの説明がつきません。
そんなわけで原因を考えてみようとしました。

するとすぐに答えが浮かんできました。
一般的な表現で言うなら、心は元気そのものだけど体は疲れているというところなのでしょう。
なのでその狭間に当たる部分がストレスを受けているのかもしれません。

行動の源である心が活性化しているために、自分全体としては疲れを感じにくく動き続けられてしまうけれど、体はついてこれていないとも考えられるでしょう。
このような場合は次第に心にまで影響が及んでいくことが一般的ですが、様々な自己対峙の結果なのか、心的疲労につながることが全くと言っていいほどないのです。
それは、心があたかも異なる帯域に存在していて影響が伝わらなくなっているかのようでもあります。

結果的に、意識しないと肉体の疲労を認識しにくいようになってしまっている可能性があります。
それと共に、思いの外この仲介部にあたるところも外的な影響を受けやすいのではないかと思いました。
感情ほどではないにしても、その影響が疲労の原因になることもあるでしょう。

例えば、満員電車に乗った場合に心理的には安定しているけれど疲労感がある時などはそのようなことが起きていると推測できるでしょう。
この乖離したと言えなくもない状態が続くとある種の分離感につながるかもしれません。
そんなわけで、この部分を重点的に意識してクリアにしていこうと思いました。

谷 孝祐
2015.12.18 22:30