ミャンマーの交通のいろいろ | 3年前のしこうの楽しみ

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今回やってきたミャンマーという国は意外なことが多いものです。
まずはイギリスの植民地だったことがあるにも関わらず右側通行だということです。
あとからガイドさんに聞いたところによると、軍事政権になったすぐの頃に左側通行から変更したらしいです。

その当時は車線が反対になったことが書かれた看板があちこちで見られたようです。
今のように車が普及しているわけではないので、そこまでの混乱はなかったのかもしれません。
そして、道行く乗用車のほとんどが日本のものです。

多いというよりも他の国の車種を探すのが難しいくらいです。
割合でいったら今の日本の路上風景よりも国産車だらけです。
また、それらは日本で使われていたそのまんまの状態です。

つまり、右ハンドルという状況です。
なので、大多数が右車線を右ハンドルで走っています。
その様子はバスやトラックも同じで、日本の会社名が入った現役の頃のままで使われています。

そんなわけで、一見すると一昔前の日本の光景かのようでもあります。
もちろんバスの場合は乗降口が路肩と反対側になってしまっています。
ヤンゴンでは少しでも車が多くなると道が混乱している感じもありましたが、そういったことも大きく影響を与えていることでしょう。

スムーズに車が走れるイメージがありませんでした。
そして、もう一つ印象的なのが国内線の飛行機です。
ヤンゴン発ではそんなことはありませんでしたが、ヤンゴンに戻る地方発の時に初めての体験がありました。

チェックインして航空券をもらうと座席番号が入っていませんでした。
飛行機が遅延するため保安検査を通過できる時間になったら声をかけるから目の前のベンチで待つように伝えられていました。
少し時間が早すぎたから後で知らされるのかと思っていました。

しかし、保安検査を通過できるようになってもそんな案内は一切ありません。
待っている人数からほぼ満席であろうことが予想されました。
搭乗開始になっても座席はわからないままでした。

バスで飛行機の前まで移動して、機内に入る階段の手前のところで係員が一気に乗客が乗らないように調整していました。
そこで座席番号をもらっているのかと思えばそうではなく、結局のところ自由席でした。
2人づつくらいしか乗せないので全く混乱はありませんが、時間はかかりました。

そんな体験をしているとふと昔の日本もそんな時期があったのかもしれないと思いました。
何となく懐かしいような気もしつつ、それで成り立ってしまう基本的に安全な国なのだと感じました。
ある意味、こうでなければならないという価値観に縛られていないようで、そのままの状況を受け入れて可能な範囲で対応する在り方はささやかな刺激になったのでした。

谷 孝祐
2015.12.1 20:18