進化したFacebookへの理解 | 3年前のしこうの楽しみ

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Facebookのアカウントを作って1週間強が経ちました。
とはいってもほとんど利用していないのに等しい状況です。
ひとまず開設してみたというところでしょうか。

それでも今では数名の友達ができています。
ただ、その第1号となった友人に手伝ってもらったところから始まっているので、まだまだどのように使うのか分かっていないという状況です。
完全な初心者でどこに何があるのかも分かっていません。

必要に応じて少しずつ慣れていき、自分にとっての活用方法を模索しようと思います。
それでも、このツールに対する様々な実感は生まれています。
やはりパワフルな影響力を持っているのでしょう。

これは想像以上のものでした。
それは、この夏に認識したFacebookの変化が概ね合っていたことを実感させてくれました。
むしろ、それと無意識的に関わることのリスクは上方修正された印象です。

まず、アカウントを作ってすぐの頃から実際に引っ張られるような体感覚がありました。
それは右の肩の首に非常に近い部分で特に強く感じました。
何かに帰属した瞬間にここまで鮮明な感覚が生じたのは初めてで、少し驚きました。

しばらく自分の状態を保つように意識し続けていると、Facebookとの距離感が定まってきたのか気にならない程度に落ち着いてきました。
そんなわけで、主体的に自分が関わりたい距離を作っていかないと、どんどん巻き込まれていきやすいように思いました。
その駆け引きが人間関係におけるパワーバランスを極大化したような印象で、なかなか面白くもありました。

こんなこともあり、見えない領域でかかってくる力を的確にとらえながら関わっていこうと決めたのでした。
そんな立ち位置でしばらく過ごすと、このツールの興味深いところがみえてきました。
それは、そこでの関わりが対面で行うものとほぼ同等であるということです。

つまり、リアルに会ってコミュニケーションを取った場合と同じような効力があるのです。
そのため、非言語情報も届きやすく、その人の立ち位置が様々な影響を与えるとも言えそうです。
そんなわけで、何も意図せずにその場の情報と関わってしまうと、気づかないうちに自分を見失いがちになり、感覚や判断にブレが生じることも多くなるでしょう。

タイムラインを無意識的に流し読みすることは、満員電車の車内で聞こえてくる会話の内容全てに関わろうとするくらいの負荷がかかりそうです。
簡単に表現するなら、影響を受けやすくも与えやすくもあるツールだということです。
この気づきの結果、こういった性質を理解してリアルな関わり以上に意識的に利用するのであれば、その恩恵は大きいように思います。

離れていても一緒にいるのと同等な人間関係の構築に役立つわけです。
それは、もしFacebook上にコミュニティを形成するなら、実際のコミュニティと同じような意義を持つということでもあります。
そういう意味で、Facebookは人類を空間という制約から解き放つ可能性を持ったツールに進化したとも言えるかもしれません。

お互いがお互いの存在を認め合って、無意識的にも人をコントロールしようとしない社会が到来したら、このツールは真価を発揮できるのかもしれません。

谷 孝祐
2015.11.11 10:35

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