高速道路を運転していて思い浮かんだことがありました。
そのきっかけは疲れについて考え始めたことでした。
今回のレンタカーはクルーズコントロール(アクセルを踏んでいなくても設定した速度で走り続ける機能)がついていなかったため、足が疲れてきたことが原因だったのかもしれません。
速度を安定させるためにアクセルを調整しながら踏み続けるのと、その必要がないのとでは体にかかる負担は大きく異なるでしょう。
しかし、思い返してみれば疲れるといっても昔ほどではないように感じました。
以前はその疲れは全身まで広がっていった印象でしたが、今回は限定的でした。
長距離ドライブともなれば最終的に目のカスミなどに現れることもありました。
これは疲れに対する心理的な反応が変わったためなのでしょうか。
確かに疲れを客観的にとらえられるようになった分、連鎖的に波及しなくなっているような気がします。
具体的には、実際に筋肉の硬直状態を強いられる右足と、同じ姿勢で座り続けることによって尾骶骨が当たることで背骨が押し上げられてしまい背中と首がこわばるという現象でした。
過去においては腰がとても痛くなったこともありましたが、それはほとんどありませんでした。
そんなことから、姿勢の安定感が高まった可能性もありそうです。
さて、疲れといってもこのように具体的にとらえられると対処もしやすくなり、疲れたという認識にもなりにくいものです。
ちなみに、ここまで明確に認識できたのは初めてでした。
そして、これに気づいて思考が発展しました。
それは、ふと思い浮かんだ言葉の意味についてでした
疲れた、憑かれた、付かれた、という表現の違いについて、本質的には大きな差がないのではないだろうかという発想が出てきたのでした。
「憑かれた」と「付かれた」は、何かがくっついたという意味でその対象が異なるだけというように考えることができ、もともと同義だという理解がしやすいでしょう。
「疲れた」はこれとは異なるような気もしますが、今回の体験で疲れの原因が特定できない場合に何かがくっつくことで認識されるもののような気がしたのです。
その何かは、本人の心理的な意味づけだったり近くにいた人の感情の影響だったりということが推測されます。
そして、どの「つかれた」にせよその原因が顕在意識でとらえることができれば、改善しやすいという性質も似ているように思います。
どうであれ、自分が感じていない部分に「つかれる」というようにも考えられるでしょう。
これはあくまで推論レベルの話ですが、日本語は興味深いと再認識したのでした。
谷 孝祐
2015.9.2 16:36