そもそもすべての人に存在価値があるという発想は、もしかしたら大きな変化をもたらすかもしれません。
そして世の中に必要な時期がきたからこそ、この気づきが与えられた可能性もあります。
本当の意味で自分らしく生きようと思うのであれば、この前提は重要なものとなることでしょう。
なぜなら、価値証明的な言動や発想は本来のナチュラルな状態を歪める可能性がありますが、それが生み出されなくなるためです。
それは結局のところ本当の意味での幸せをもたらすことを難しくさせてしまうように思います。
もしこの前提が人類に浸透したのであれば、わざわざ争うことも奪い合うことも競うことも必要なくなることが推測されます。
そこでの重要なフォーカスポイントは自分の生まれながらの価値をどう生かすかになるためです。
ここには育った環境なども含まれることでしょう。
なので、その価値は似たものはあれども唯一無二なものです。
もし競争があるとすれば、その価値をどれだけ生かせるかということになるのかもしれません。
そもそも生きるということはそういうことなのでしょうか。
そんなことを考えていて、ふと疑問に感じたことがありました。
先日、やりたいことに正面から向き合うと決めたのですが、どうもこれは間違っているような気がしてきたのです。
今の自分にとっては、やりたいことという表現が薄っぺらい虚構なような感覚を生むのです。
そこでどうするのが良いのか探ってみました。
存在価値があることを前提とするならば、その価値を生かせる状態にあることが何よりも重要であると考えられます。
自己に内在する価値を自然に体現できる状態を維持するイメージです。
そうであるなら、今この瞬間にどう在るかということが選択の軸になりそうです。
結果的にそこにやりたいことも内在されるように思いますが、ずれたものは淘汰された形で意識化されることでしょう。
結局のところ選択の結果は変わらないかもしれませんが、自己一致した度合いは異なるように思います。
しばらくの間、この意識を維持していこうと思います。
谷 孝祐
2015.5.25 13:31