生まれながらに価値がある | 3年前のしこうの楽しみ

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たまに存在価値についての話を聞くことがあります。
先日もそんなことがあり、ふと自分の考えが再認識されたのでした。
この話題が出る時は、基本的に自分に存在価値がないと感じるというベクトルでなされるように思います。

それは、自分は必要ない人間だとか、自分は頑張らないと価値がないとか、自分は除け者だとか、自分は生きている意味がないとか、自分はいない方がいいとか、自分は生きているだけで迷惑をかけているとか、そんな表現で伝えられます。
しかし、それは本当なのでしょうか。
もちろんそのように感じてしまうことも理解します。

思ったような結果が得られていなかったり、そもそもの自己否定が強かったり、そのような刷り込みがなされていたり、誰かと自分を比べることが多かったりすれば仕方のないことかもしれません。
でも、それは事実でしょうか。
個人的にはそんなことはありえない思います。

これは気休めなどではない本質論です。
この世に存在価値のないものは存在しうるのでしょうか。
おそらくそうではないと思うのです。

存在意義があるからこそ、奇跡的なプロセスを経てこの世に生を受けて今なお生きるということを続けいるという見方もできるでしょう。
こう考えていると、昔に自分の存在価値を認めることになったきっかけを思い出しました。
それは、この件に関して探求していた時のことでした。

運良くバーストラウマが少なかったからか、自分の存在価値がないと思ったことはほとんどありませんでしたが、その時はより明確に認めるのかどうかという選択に迫られているような感覚がありました。
思考をあれこれ多角的に巡らせた結果、それを考えること自体がナンセンスだという結論にいたったのでした。
存在価値があろうとなかろうと、今その場所に存在していることは誰もが疑わない事実だと思ったのです。

その存在の仕方に価値の大小はありうるかもしれませんが、本当に価値のない場所に追いやられているということはないのではないでしょうか。
そう考えると、これは主観の産物でしかなく、自分に与えられた価値を体現するしかないという感覚が生まれたのでした。
なぜ、今さらこんなことを思い出したのかわかりませんが、せっかくの機会なのでもう少し深めてみようと思います。

谷 孝祐
2015.5.23 21:42