セミナーの時に感じた、自分には夢も希望も目標もないという反応を数日経ってから思い返してみました。
本当にそうなのかということを単純に疑ってみたわけです。
ひとまず瞑想中に丁寧にその時の感覚を振り返ってみました。
そうすると、それらの持つ言葉の力やそれらを持つべきであるという集合意識的な流れの影響を受けていたことが認識できました。
ようするに、その場の状況に巻き込まれていたわけです。
そして、確かにその場で表現されていたような力のかかり具合の目標などが自分にはないことが分かりました。
あえて叶えたい夢とか達成したい希望とかという表現を使うほどの想いがないようでした。
なぜかというと、そこまでの想いになる前に実現するか処理されてしまうためのようでした。
つまり、やりたいことは色々あるけれど、それを抑制する力がかかっていないために、あえて達するための力をかける必要がないわけです。
やりたくてそれができるならやるし、できないならやらないし、やりたくないならやらないし、どっちでもいいこともたくさんある、という状態です。
そして、やりたいことはそれなりにできていて不満はないという状況です。
また、できないことについての否定感が伴っていないこともこの心理状態に対して寄与していることでしょう。
そうであるなら、やりたいことを精一杯やっていくことが、一般的にいわれる目標を持っている状態になりそうです。
そんなわけで改めてやりたいことに意識を向けてみることにしました。
そうすると、何となくというよりは明確なぐらいの感覚で自分の主体がもどってきたような気がしました。
それとともに、以前よりもやりたいことが増えたようでした。
潜在意識のより深くにあった情報が引き出されたのでしょうか。
ひとまず、それらをそのままやりたいと認めることにしました。
面白いことにそういったやりたいことは今までとは性質や側面が微妙に違うような気がしました。
自分のやりたいことをはじめ、夢や目標なども見失っては思い出すというプロセスを経て、本当の核心に近づくのでしょうか。
ひとまず、やりやいことのしっかり向き合っていこうと思いつつ、やりたいことをやりきるという目標設定をすることにしました。
谷 孝祐
2015.5.21 23:14