自分のプロセスへの意識 | 3年前のしこうの楽しみ

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自分の生きてきたプロセスに価値があるのかないのか、という発想はそもそも意味のないことかもしれません。
自分なりのよりよく生きる法則に価値がないと感じたということは、その時点では自分の生きてきたプロセスに価値を見出せていなかったことを意味するでしょう。
しかし、自分が他人のことを考えれば、その人がどういうプロセスでそこにやってきているのかということに最大の興味があります。

人の話を聞いていても、話の内容そのものよりもその内容が生まれた背景に意識が向くことはよくあることです。
つまり、他人のプロセスに対しては価値を見出しているのに自分のプロセスには価値が見出せていないということになるでしょう。
これは、大きな不一致であるわけです。

確かに自分のプロセスに価値を感じることは難しいでしょう。
当たり前のことになっているのであえて認識しようとしない限り不可能なのかもしれません。
そう考えると、今までの経験一つ一つに価値があったことは実感できているのですが、なぜだかそれらのつながりであるプロセスには意味を感じられていないということが知覚できました。

物事には順番があってそれが重要だということに同意しますし、一連の流れの中で体験に対する意味付けが生まれるということも理解しています。
同じ体験であったとしても状況が異なれば自分の受け取り方は変わるわけで、何を経験するかということ以上にプロセスの中のどこで経験したのかということの方が重要である可能性もあると思います。
そう考えているにも関わらず、この不一致は変化しないままきてしまっているようです。

では、何が不足しているのか。
単純に自分のプロセスに意識が向いていなかったということなのかもしれません。
何らかの出来事よりもその背景の方が認識しにくいのは事実でしょう。

そうであるなら、そこに意識をフォーカスして自己理解を進めることが必要だということになりそうです。
そう思うと、心にポッカリ穴があいているような気分になりつつ、自分の存在が消えていくような不思議な感覚が生まれたのでした。

谷 孝祐
2015.5.21 10:44