価値のない法則 | 3年前のしこうの楽しみ

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自分なりのよりよく生きる法則をまとめるということに意識を向けてみると、小さかった抵抗感が次第に強まってきました。
そして、そんなものに価値はないのではないかという発想が出てきました。
それを表現することで何かの役に立つとは思えないようでした。

無駄なものを生み出してしまうような気分です。
これは問題でしょう。
人がよりよく生きるためのサポートをしているつもりなのに、自分自身にとってのよりよく生きる法則には価値を見出せていないという微妙に不一致な状態にあるわけです。

もちろん、自分自身に通用するものが人に適用できるとは限らないという観点は間違ってはいないでしょうが、気づかないままに行きすぎて採用していてしまったのかもしれません。
それは結果的に構造的自己否定につながっていたように思います。
潜在意識の奥深くにこんなものが眠っているとは想像もしていなかったので、細やかな驚きと改善点が見出せたことに対する喜びが生まれました。

客観的にとらえるならば、誰かが生きてきた中で得た法則というものに価値がないということはあり得ないように思います。
なぜなら、それは多かれ少なかれ誰かの役に立つと考えられるためです。
それなのに自分のものに価値がないととらえているということは自分を人とは違う場所に置きすぎている可能性があります。

今までそのように人から指摘されたり会話の中から感じたりという体験から強化されてきたのでしょう。
また、それ以前に人のアドバイスが自分にとっては役に立たなかった経験がベースにありそうです。
このように思考が巡り、この問題の出口がみえてきました。

若かりし頃はそういったアドバイスを自分に役立つ形に変換して受け取ることができなかったわけで、必要なエッセンスを抽出して生かすことに意識が向いていなかっただけのことです。
そうであるなら今はそれなりにそれができるようになっているわけで、自分のものを誰かが生かしてくれればそれで良いということになるでしょう。
この視点が生まれたことで、少し気が楽になるとともに、遊び半分でまとめていいかという気分になったのでした。

谷 孝祐
2015.5.20 23:46