実は前述のセミナー中に感じたことがありました。
具体的な目標をシェアするワークがあったのですが、たいしたものも思いつかず、発見も何もありませんでした。
理想の一日を発表しても、それは今の日常のひとかけらであって、その気になればすぐにでもできてしまいそうでした。
思った通りの生き方ができていてそのような必要がなくなったという見方もできますが、何となくつまらない気もしたのでした。
かといって、やるべきことができていないとか、本当にやりたいことを感じないことにしているとか、自分を見失っているとか、とも違うような気がします。
よくよく意識を向けてみれば、いつの間にか何もいらない心理状態になっているようでした。
幸せや楽しみと外敵刺激が直接リンクしなくなってしまっていて、どのような状況においても自分がほぼ同じ状態であることが定着してきているようでした。
そして、主観において解決したい問題もなければやりたいこともないという状況であるということを認識したのでした。
これを無我の境地と呼べるのかどうなのかは分かりませんが、そのようにとらえることにも意味を感じられませんでした。
夢も希望もないなんともつまらない大人になってしまったものだと思いつつ楽しさは変わらないという不思議な感覚でした。
自分の深い部分が震わせられる何かがなくなったということなのでしょうか。
こう考えていて、だったら単純に楽しさを増やしていけば良いという方向に意識がシフトしました。
であるなら、自分は何をするのか。
フラットな精神状態にあることのジレンマなのか、何でも良いような気がしてすぐには思いつきません。
あえて言うなら体の状態をもう少し整えたいというくらいです。
しかし、自分なりのよりよく生きるための法則をまとめるということを思い出すと、多少の抵抗感がありました。
これを少し掘り下げてみよう思います。
谷 孝祐
2015.5.20 10:15