先日、我が子が生まれて100日をむかえました。
特に意識していたわけではありませんが、何の影響なのか無意識的な計算なのか、その4日前にふと気づいたのでした。
その日はちょうど行きつけの料理屋さんで夕食をとる予定だったので、お食い初めの料理を用意してもらえないか電話ですぐに尋ねてみました。
すでに何度か子どもを連れて行ったこともあったからなのか、親戚のおじさんのように快諾してくれました。
お食い初めとは、生まれて100日目に行う儀式で、無事ここまで生きられたことを祝いつつ一生食べ物に困らないようにという願いをこめて行うもののようです。
大昔は、ここまでの期間に亡くなることも多かったために始まったとも言われているようです。
せっかくなので正式な形でできるように専用の漆器も用意しました。
料理屋の大将も祝い箸をその目的に合った神社で買ってきてくれたり、築地市場でそのための食材を仕入れてくれたりしたようでありがたい限りでした。
自分がこのような儀式をどの程度してもらったかどうかは記憶にありませんが、急場凌ぎで用意したにしては明らかに上等なものになったように思います。
さて、赤ちゃんにとってはこの機会に初めて母乳以外のものが口に触れることになるわけです。
実際には口につけるだけの形式的なものですが、我が子はそれだけでも何だか少しビックリしたような感じでした。
実際に食べてしまう子どももいるらしいですが、それとは真逆でセンシティブな性質もあるのでしょうか。
一通り食べさせるふりを終えたあとは、自立して生きていくことへの抵抗からなのかどうなのか、いつになく泣きわめき続けたのでした。
予防接種ではそんなこともなかったのにも関わらず、今回は感じるものがあったのでしょう。
大人からすれば単なる形式的なものといえばそれまでですが、赤ちゃんにとっては大きな意味があるのかもしれません。
そういう儀礼を通じて精神的に成長する可能性を感じました。
そんなわけで、日本古来から行われてきていると思われる儀礼は、一つ一つ丁寧に節目としていこうと思ったのでした。
谷 孝祐
2015.5.16 14:00