自宅への帰属からの解放 | 3年前のしこうの楽しみ

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片付けが進んだからなのか、家の引き渡しの日が決まりました。
約一ヶ月後に引き払うことになりそうです。
特に感慨があるということはありませんが、不思議な感覚が生まれました。

それは、失うとか別離といったものでもなく、安心や安堵といったものでもなく、もちろん不安や怖れといったものでもありません。
あえて表現するのであれば、重力が今までの8割くらいになったような、何かとずっと平行線であるような、虚も実も存在しないかのような、動きが止まったまま動いているような、微細さと乱雑さが同居しているような、今この瞬間ですら存在していないかのような、主体も客体も滅失したような、そういったものが織り混ざったようなものです。
これは一体何なのでしょうか。

よく分かりませんが、こういった感覚のままキャパオーバーな日常に着地して過ごしているというような実感なのです。
まだ、家を手放す実感が薄くて、ぼんやりしているのでしょうか。
それとも、次の段階に進む前の踊り場のような感覚なのでしょうか。

ここから人生という物語の違う章が始まるのでしょうか。
この感覚をなんとなく眺めていると、自分の実感というもの自体が虚構であるかのようにも思えてきます。
もちろん、ここに善悪などの評価はありません。

何でもない当たり前のことが流れていっているだけという気分です。
ここまで主観と切り離された感じも初めてのことで、自分という概念が消えてなくなるかのようでもあります。
それはさておき、残りの片付けも進める必要性が明確になりました。

それが完了すれば自分の中で何かが変わるのかもしれません。
潜在意識がその変化の最中で混沌としているのかもしれません。
どうであれ、丁寧に進めて次の人に良い状態で受け渡していきたいと思います。

それにしても、自宅に対して意味付けをあまりしていないつもりが、いつの間にか帰属している場所になっていたことは確かでしょう。
次に自宅を持つのであれば、もう少し意識的に立ち位置を明確にして関わっていこうと思います。

谷 孝祐
2015.5.9 22:15