車を運転しながらふと感じたことがありました。
それは、ここ最近において自分がキャパオーバーになっているのではないかということです。
それはやろうとしていることの合計が、自分の処理能力を越えてしまっているかもしれないということです。
心理的にはそこまで切羽詰まってはいないものの、タスクを十分にこなせているという実感もありません。
だからこそ確認してみる必要性を感じました。
意識を向ければ、思いもよらない間違えが増えている気もします。
細々としたことへの配慮も十分にできていなさそうです。
また、後回しになったことを忘れてしまったりもします。
体調が悪いわけではありませんが、元気さが足りない感じもします。
できる範囲のことしかできないのは変わりありませんが、ここしばらくの間、先延ばしになったタスクが0になることはありません。
もしかしたら、この状況に心理的負担をそこまで感じていないからこそ、なんとか状態が保たれているのかもしれません。
そんなわけで、タスクを減らすべきなのかどうかということを考えました。
一般的にはそうすることで余裕を作ることは常套手段のように思うためです。
しかし、今のストレスが自分を成長させてくれる可能性も否めません。
なぜなら、闇雲ながらなんとかギリギリついていっているような感覚があるためです。
逃げ出さずに向き合っていくことで処理能力が上がるかもしれないという期待もあるということです。
そして次第に、心は囚われていないものの体が縛られているというような状態であるような気がしてきました。
この知覚はある意味正しいものでしょう。
そうとらえると、自分の一部が体もいつか心と同じように自由になるという幻想の中にいることが認識できました。
それが不可能かといえばそうではないかもしれませんが、これは現段階では妥当ではなさそうです。
心は心のおかれた世界の理に従い、体は体のおかれた世界の理に従うのが自然でしょう。
そうであるなら体は現代の物理世界に帰属しているわけで、そこに縛られているということです。
ひとまず、それを認めて受け入れてみようと思います。
谷 孝祐
2015.5.8 17:34