心理的抵抗の発生源 | 3年前のしこうの楽しみ

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朝目覚めるとまたしてもささやかなやる気のなさがありました。
素直に起き上がる気になれずダラダラしたい気分です。
睡眠時間は十分なはずなのにだるい感じがあります。

まだ時間はあったのでそれに従うことにしました。
そして、横になったままぼんやりした意識状態で、自分のこの現状をみつめていました。
そこでふと進むことへの抵抗が出ているのかもしれないと思いました。

少なくともそれはやる気のなさの一因のようでした。
確かに自宅を引き払うという変化が現実味を帯びてきています。
顕在意識では軽くとらえているのですが、潜在意識ではまだ完全にはクリアでない部分があるのかもしれません。

これはささやかな執着とでも言うのでしょうか。
お気に入りだけど今の自分にはズレがあるものを手放すということは、案外エネルギーのいることなのでしょう。
思い返してもこれはあまり経験のないことです。

もしかしたら、学校を卒業するとともにうまれる環境や友人などとの別離を直視したくない感覚に似ているのかもしれません。
この例えは、学校生活が充実していてある程度満足していた度合いが高いほど生まれるのかもしれない感覚をベースにしていますが、思い当たる表現としてはそこそこしっくりきます。
しかし、出てきている抵抗を感じていても、手放したくない想いや失いたくない気分というものは認識できませんでした。

逆に進みたい力もそれを超えるほどにはないようで、力が均衡してしまっているようでした。
そんなことを考えていると、他の可能性に意識が向きました。
それは何らかの影響を受けているのではないかという推測です。

自分が進むことでうまれる影響に対しての抵抗なのではないかと思ったわけです。
物理法則と同じように、進むということはそれだけで微細な抵抗が生まれるはずで、そこに進ませたくない何らかの想いが加担してきて認識できるレベルの抵抗へとなるイメージがつかめました。
そして、ここでいう何らかの想いは、自分のものであれ他人のものであれ人以外のものであれ、同じように作用するのかもしれません。

この発想に行き着くと、最初にあったやる気のなさは完全であるかどうかはわからないものの、知覚できるほどにはなくなったのでした。

谷 孝祐
2015.5.4 11:14