やる気とやる気のなさの原因 | 3年前のしこうの楽しみ

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寝起きにふと自己乖離が表面化しました。
それは今まで意識したことのなかったものでした。
やる気のない自分とやる気のある自分とでも言えば良いのでしょうか。

もっと何かをしたいという気分ともう何もしたくないという気分があって、勝手に入れかわるということに気づいたのです。
もちろんこれは若い頃は普通のことでした。
しかし、いつしかそこまでの触れはなくなっていました。

近年はやる気が淡々と持続されているようなイメージでした。
その流れの中で、いつの間にかやる気の揺らぎがとらえられなくなっていたのでしょうか。
それとも知覚しにくい潜在的な揺らぎが認識できるようになってきたということなのでしょうか。

過去との違いは、この気分の揺らぎが非常に短い時間で起こる一過性のものだということです。
なので、注意せずともそれに囚われることはなさそうです。
ここで、幸も不幸もないのではないかという気づきと共通するエッセンスがあるように思えてきました。

本質的には、やる気がある状態もやる気のない状態も存在しないのではないかということです。
個人的にはこの考察は納得感のあるものでした。
これは、自分の状態が、一般的にやる気があると判断されやすい方向にうつろう時と、一般的にやる気がないと判断されやすい方向にうつろう時があるだけという理解です。

そして、このうつろいはバイオリズムなどの何らかの変化のある中では当たり前のことだと考えられます。
このうつろいに、やりたい自分の要素ややりたくない自分の要素が加担して、認識レベルにおけるやる気の状態を左右しているのかもしれません。
そして、今回はこのうつろいそのものが顕在化されてきたともとらえられるように思います。

このように考えてみると、今回のやる気のなさの正体は肉体的な疲労が加担していることが分かりました。
そして、その感じられていない部分がやる気のない方向に引っ張った分だけ戻る幅も大きく、そこがやる気と知覚できているようでした。
ちゃんと対処しつつGWを過ごそうと思います。

谷 孝祐
2015.5.2 11:12