やっととらえられた公になることへの抵抗をみつめてみました。
そのためにまず、なぜ自分が個であるということに意義を見出しているのかという問題に意識を向けました。
個という存在への自分にとっての価値付けが抵抗となってあらわれているのかもしれないと考えたためです。
その答えは以前であれば面倒臭いことを避けられるというものでした。ところが、あらためて感じ取ろうとしても、それはすでに解決済みでどちらでも良いような心持ちです。
過去にあった、それを通じて起きてくるやるべきことの増加については、すでにどうでも良くなっていることが確認できました。
そこで、しばらく他の可能性を探ってみました。
しかし、個であることのメリットが見出せません。
そこで、少し発想を変えて、自分にとっての個や公という概念がどんなものかということを明確にしようと思いました。
そう思うと同時に、これについて考えたことが一度もなかったことに気づきました。
明確になっていないものに抵抗を覚えるということは、幻想が潜在意識において勝手に起きていることを意味します。
それが抵抗の一因であることは確かだと思いました。
きっと前述の取り組みをした段階で、ここまで行っておくべきだったのでしょう。
仕上げ損なっていた課題が見つかった気分でした。
そして、今やこの二つの概念は、自分の中で案外対立していないような気がしてきました。
本音では個でも公でもどちらでも良いようです。
自分にとっては対立概念としての存在価値が低下していたわけです。
そんなわけで、自分という個の中に公である部分が存在しているという、現状に合った規定をしてみることにしました。
そうすると、それらの概念があるべき場所に収まったのか、ささやかな安定感が生まれました。
結果的に固定観念レベルまで取り組みを仕上げることの意義を認識し、案外こういったやり残しがあるかもしれないと感じたのでした。
谷 孝祐
2015.2.25 23:55