賞賛への抵抗感 | 3年前のしこうの楽しみ

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うまくいくことへの怖れがトピックにあがってきたのを受けて、自分自身の内面にもそれがあるのではないかと見つめてみることにしました。
特に存在している実感があるわけではありませんが、人生の新しい段階へ入っていることは確かなので、あり得なくはないと考えたためです。
探してみてもなければそれで良いし、あったら取り扱い必要になる課題が明確になるという心持ちで意識を向けてみました。

とはいえ、あるという前提で探すのが定石なので、スムーズにうまくいってしまうことに対してどんな抵抗があるのか問いかけてみました。
それでも、とくにこれといった反応は見つかりません。
あぶり出すとしたら、あるという前提をより強める必要があるのかと推測し、絶対にあるという力をかけてみることにしました。

しばらく続けていると、下腹部に鈍痛が少しあらわれてきました。
これが抵抗なのかどうかはわかりませんが、暫定的にそうであることにして取り扱うことにしました。
鈍痛の理由を特定するために、痛みにフォーカスしつつ、うまくいくことで失うことや、うまくいくことで起きる望ましくないことを考えてみました。

そうすると、ささやかながら抵抗があるように知覚できました。
しばらく、その状態を維持していると、次第に何を避けようとしているのかがぼんやりと明らかになってきました。
実感は薄いものの、どうやら賞賛されることに抵抗があるようです。

褒められることはあっても、そこまで賞賛されたことがないからでしょうか。
ひとまず、その想いをしばらく感じてみました。
そして、賞賛に内在する本人も気づいていないエゴに対して、十分な許容ができていないことが認識できました。

つまり、賞賛に付随する無意識の要求に抵抗を覚えていたわけです。
どうやら、それらがセットになってしまっていたようでした。
賞賛を額面通りに受け取り、要求については意識化してどうするか選択しようと決めました。

谷 孝祐
2015.2.22 18:24