傷つけることが傷つくこと | 3年前のしこうの楽しみ

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攻撃されることに対してフラットになることへのメリットが見出せて、最後の詰めに向かう段階にやってきました。
ここで今一度、攻撃されることを避けたい理由を見つめてみました。
それがすべて幻想であると感じることができればクリアなためです。

ところがすぐには出てきません。
お腹の底の方に詰まったような違和感を感じるだけです。
仕方がないので、ひとまずその違和感を持ち続けてみました。

すると次第に動きはじめて緩んでいくような感覚があり、微妙に腹痛が始まりました。
しかし、認識レベルにまでは情報が上がってきません。
攻撃にまつわる深い傷なのでしょうか。

それすらもわからずにそのまましばらく過ごしました。
そして、腹痛をみつめていると、胸のあたりにつっかえる感じが生まれてきました。
少しの気持ち悪い感じが伴います。

しかし、それはつかの間で、情報が頭に到達した感覚がありました。
そして、言葉として認識できました。
それは傷つけたくないという想いでした。

どうやら、攻撃されることと傷つけることが対になっていたようでした。
攻撃された結果、意識的なのか無意識的なのか、どちらにせよ攻撃し返してしまい、相手を傷つけてしまうことを避けたいようです。
それは、同時に自分が自分を傷つけることにもなるわけで、その痛みが一番避けたいことのようです。

自分にとっては最大の自虐行為のように感じるようです。
確かに、中高生の頃に傷つける側になるくらいなら傷つけられる方がましという感覚があったことが記憶の片隅にあります。
原因が特定できたところで冷静にみつめると、攻撃されることが受容できたのであれば攻撃し返す必要がなくなるということが理解できました。

結局のところそれも反応なのでしょう。
そうであるなら攻撃に対してフラットになれると、より意識的にいられる領域が広がるのかもしれません。
それは意識の自由度を拡大させることでしょう。

この取り組みの変化を少し味わってみたいと思いました。

谷 孝祐
2015.2.13 23:54