親としての立ち位置 | 3年前のしこうの楽しみ

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傷つくことに対してフラットにとらえられるようになったことが原因なのか、急激に今まで経験したことのないような痛みが出てきました。
布団に横になってどの姿勢をとっても落ち着かないのです。
腰椎の何番目かが微妙にずれて、神経を刺激しているのかというような性質の痛みでした。

スムーズに進むことに対して今度は体が抵抗しはじめたのかと思いつつ、仕方なく痛みを感じ続けながら眠りました。
すると、翌朝には嘘のようによくなりました。
そんなわけで、思考は本題である攻撃されることをどうとらえるかという課題に戻ってきました。

傷つくことを取り扱った結果、攻撃を避けたい気分は大幅に軽減されたことが認識できましたが、まだ完全ではありません。
他の要因も絡んでいるようです。
ひとまず、テーマがサブテーマにスライドする前の、攻撃されることに対してフラットにとらえることのメリットを明確にするという地点から再出発することにしました。

主たるアンカーとなっていた傷つくことを避ける意識が改善されたので、フラットにする目的が腑に落ちるだけでも十分に進める気がしたためです。
今や攻撃されたくないという想いは風前の灯でした。
そして、ゆるやかに思考を巡らせながら交差点で信号待ちしている時に、ふと思い当たる答えが出てきました。

それは、子どもへの影響でした。
多くの場合、攻撃する人は攻撃しようと思ってしているわけでもなく、本人も無自覚でそうなってしまっていることかと推測します。
そして、子どもの方がその可能性がより高いのかもしれません。

このような前提において、自分に攻撃を避けようとする意識があると、自然な子どもの状態を許容しきれていないということになってしまいます。
つまり、誰しもが持っているであろう攻撃性を受容できずに否定してしまう構造になってしまい、結果的に自分も相手の攻撃に対して無意識の攻撃を返してしまっていることになりかねません。
これでは子どもの自己否定を知らず知らず生み出してしまうわけです。

逆に、自分に対する攻撃をも完全に許容できる親になることができれば、子どもに対して常に存在肯定できている状況になるわけです。
これは、確かにこれからの自分にとっては重要だと感じました。
攻撃に対して完全にフラットになるように、最後の詰めに向かいたいと思います。

谷 孝祐
2015.2.12 16:32