なぜ傷つくことを避けたいのかということに意識を向けてみました。
すると面白いことが起きました。
なぜだかポジティブな理由が出てくるのです。
例えば、見えていなかった課題に気づけるとか、滞っていたエネルギーが表出するとか、多角的な視点を持ちやすくなるとか、一旦立ち止まって考える機会になるとか、傷つくことで得られるメリットが自然と上がってきました。
どうやら過去の取り組みもあってか、傷つくことをネガティブなことにはとらえていないようでした。
思い返せば、実質的に痛みの伴う肉体が傷つくことですら同じように得られるものに認識のフォーカスがあっています。
それなのに避けたいと思っているのは何とも不一致でしょう。
それだったら避けなくて良いはずです。
そんなわけで、本当は避けたいものではないのではないかと自問自答しなおしてみました。
しかし、避けたいという答えが出てきました。
そうなると、痛みを避けたいのではなく、一見ポジティブに思われる先ほどのような要素を避けたいと考える方が筋が通ることになってしまいます。
なので、あえてそれらをデメリットとしてとらえてみることにしました。
すると、その裏にあった面倒臭い気分があぶり出されました。
どうやら、メリットを得るとともに生まれる労力を完全には良しとしていない部分があるようでした。
それは、ささくれとして残ってしまった抵抗のようなものとして感じられました。
どうやら、未だに自分の成長に対する阻害要因があるようです。
ということで、そこを改善することを試みることにしました。
なぜ、そんな些細な抵抗をするのかということを考えてみました。
どうせ進むならそんな非力な抵抗は無駄なことのようにも思います。
しかし、それでバランスをとっているようでした。
その裏にはスムーズに進むと危険という気持ちがあるようでした。
ということで、本当に危険なのかということを何度も問いかけてみると、それは今や幻想だったようで返答がないままに氷解していきました。
結果的に傷つくことをフラットにとらえられるようになりました。
谷 孝祐
2015.2.11 22:46