攻撃されたくない理由 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

攻撃されることをフラットにとらえられるようになるために、緻密に内面をみつめてみることにしました。
以前も同じテーマは扱ったことがありましたが、まだ改善すべき根幹が残っていて、そこに近づく必要があるのかもしれません。
しかし、そこまでする意義があるのでしょうか。

一般的にはそこまでいく意味はないかと思います。
個人的にも今のままで不自由さがあるわけでもありません。
そんなわけで、まずはフラットにすることの有用性を明確にすることが先決のように感じました。

そうでなければ、方向性も定まらぬまま広大な潜在意識の中を闇雲にさまようことになりかねないためです。
また、そこにいくメリットを十分に認識していた方が、答えを見つけ出す感覚がより研ぎすまされることでしょう。
それは、感覚的にはキャッチしている必要性を思考でも理解し、自分の中での綱引きをおきにくくするためでもあります。

ということで、まずは完全なフラットにしたくない理由に意識を向けてみました。
しばらく自然な思考を眺めていると、攻撃されることが前提になっている感覚が存在していることが知覚できました。
それは、フラットになってしまったらどこから攻撃されるか分からなくなってしまうという感覚がみつかったということでもあります。

フラットになってしまったら攻撃に対する注意が働かなくなってしまうと感じているわけです。
それは、今回の店員さんの件のような心理的な不意打ちに合いやすくなるということを意味するでしょう。
でも、なぜそれがいけないのでしょうか。

そう考えると、傷つきたくない自分がどこかにいる気がしました。
であるならば、傷ついてもいいと完全に思えれば攻撃に対してフラットな状態でもよくなると推測できます。
そんなわけで、なぜ傷つくことを避けたいのかというサブテーマをひとまず紐解いていきたいと思います。

谷 孝祐
2015.2.10 23:54