出生のプロセスを目の当たりにして感じたことがありました。
それは、なぜこのような仕組みになっているのかということです。
なぜ大変さをともなうようになっているかということです。
わざわざ苦労を強いる形になぜなっているのでしょうか。
進化の過程において自然にそうなったといえばその通りでしょう。
しかし、もし大いなる力や神の働きなるものがあるとするのであれば、必要があってこのような形を作ったととらえられなくもないでしょう。
そんなわけで、その見地に立って考えてみることにしました。
進化のプロセスをたどると、基本的には多産多死から少なく産んで大切に育てるというベクトルに向かっているように見受けられます。
それは同時に出生を困難なものにさせているとも考えられます。
おそらく胎生よりも卵生の方が母子ともに楽でしょう。
体外受精である魚類などはさらに簡易的なように感じます。
ある意味、進化の初期の段階の方が種の保存という意味において効率的とも言えるかもしれません。
そう考えると、出生において生物の進化はあえて大変な方法へ向かってきたと言えることにもなります。
もし、そこに何らかの意図が働いているのであれば、その結果として得られる何かを与えるべくして胎生というものを生み出したのでしょう。
それがあるとするならば、一体何なのでしょうか。
様々な理由が考えられますが、その鍵はもしかしたら一体感を得ることなのかもしれません。
母子ともに苦労を伴うことで愛情が生まれやすく、つながった存在であることが感じやすい可能性は高そうです。
そもそも、生まれるまでは一体です。
また、そこには唯一無二の存在というニュアンスも内在することになるでしょう。
それだけ大切に扱われるわけです。
その結果、意識の発達というものが起きやすくなるようにも思います。
それは自分という存在を認識し理解する方向へ働くでしょう。
そう考えると、人間は意識の目覚めた状態で生きることが求められているかのように思うのでした。
谷 孝祐
2015.2.5 20:20