吹奏楽部の指導の様子をふと振り返って感じたことがありました。
それはどのような環境に身を置くかということの重要性です。
中学校の部活動であれば、狭い選択肢の中から偶発的に選んだ環境であるというように考えられるかと思いますが、それが人生に大きな影響を与えうるかもしれません。
そういう意味においては、どのような環境に身を置けたかということの重要性という方が正確だと思います。
少なくとも自分自身は、頭の中には選択肢として上がっていなかった吹奏楽部に偶然の流れで入り、それによる影響が多大であったことは否めません。
進路選択の軸はそれしかなくなっていたくらい没頭していたものでした。
そのおかげで得られたことは非常に大きく、今までの人生の礎の一つになっているようにすら思います。
もちろん、現在はその弊害も認識していますが、自分にとっては有難い経験だったと感じます。
逆に、部活動については、そこまでの体験がなかったという人も多いことでしょう。
その分、別に何かを受け取っているとも考えられ、結局は何を通じて学んだかというだけの違いでしかない可能性もあります。
しかし、今回の体験で、良き指導者に巡り合えたかどうかは人生観そのものを変えうるように思いました。
何かを行うにあたって、先人の知恵を拝借できる環境にあるのかどうかは、その分野における成長度合いを規定しかねません。
これは、楽器の演奏に限らず、スポーツにせよ、美術にせよ、資格取得にせよ、ビジネスにせよ、国交にせよ、何にせよ、そのような性質があるでしょう。
その上で、特に基礎的なことをどれだけ無心でやるべき状況にあったのかは、その人の軸の強さを分けることでしょう。
どんなに才能があっても出会いがないことによって、もしくは出会いを生かせないことによって、成否が分かれることはあるように思います。
自分がそれを生かせてきたのかは評価し難いところではありますが、おそらく多くの出会いを無駄にしていないということは言えると思います。
というより、ふと、それを生かすことに自分の才能があるのかもしれないとも感じます。
この点、微妙に不一致な感じもありますが、より縁というものを生かして自分を活かしていきたいものです。
谷 孝祐
2015.1.25 21:57