ピッタリを狙うこと | 3年前のしこうの楽しみ

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期限に向けて何かを行う時に、どのようなペースや心境で進めるかは個々によってパターンがあるのが通常のように思います。
ふとそのような考えが出てきました。
自分のパターンを知りたければ、期限の決まった仕事や期限の決まったやらなければならないことをイメージすることが有効でしょう。

ある人は、何となく過ごしてしまって直前に気づき、焦って期限に間に合わせようとするけれど間に合わないというパターンかもしれません。
またある人は、期限よりも早く終わらせようと意識しつつも、結局ギリギリになってしまうというパターンかもしれません。
またある人は、自主的に早めの期限を設定し直して、その通りに早めに完了させるというパターンかもしれません。

そしてある人は、期限を気にせずに自分のペースで行い、遅れることもあれば早いこともあるという可能性もあるでしょう。
もしかしたら、期限に関係なくとにかく早く終わらせようとするタイプもいるのではないでしょうか。
一般的な見地として、それらのうち早めに終わらせるパターンが善とされることが多いように感じます。

それは、期限に間に合わない可能性が減少したり、心理的な不安が出てきにくくなったり、余裕が生まれることで作業の質が高まったり、などということが理由であると考えられます。
しかし、思い返せば、期限ちょうどを狙っていく人というのは少ないのかもしれません。
それは、期限に間に合わせるという意識ではなく、期限ちょうどになるように意図するというような性質のものです。

そして、意図通りに現実がついてくるというイメージです。
これを実践するには、間に合わないかもしれないリスクに対する不安と向き合うことや、間に合わないことを許容する在り方が必要になってくるでしょう。
これを難なく行うには、間に合わないという選択肢が自分の中に存在しない状態であることや、期限という圧力をかけずにできるという自分に対する信頼や、期限に間に合わなかった時の周りからの評価を真摯に受け入れる立ち位置が重要かもしれません。

しかし、これができれば一番ストレスがないであろうことも推測できます。
なぜなら、流れという観点からは期限が設定された時点でそこに向かう力がかかるためです。
遅れた場合のストレスはその流れを妨げて滞りを生み出し自己否定という形で表れやすいものですが、早める場合のストレスは流れをオーバーラップするために必要となる推進力を生み出し安心感という形で認識されやすいのかもしれません。

どちらにせよ心の深い部分では期限と自己価値とが結びついていることになります。
ひとまず、期限というものをとらえ直してみようと思います。

谷 孝祐
2015.1.23 22:19