景品表示法の初判決 | 3年前のしこうの楽しみ

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ホットトピックなのでしょうか。
少なくともなぜだか個人的にはそのようです。
新聞を開くと、景品表示法に関する裁判の報道が載っていました。

どうやらこの法律によって広告の差し止めを求める判決がおりたのは初めてようでした。
内容は、クロレラの効果についての広告で医薬品のような印象を与えて実際よりも商品を優れたもののように見せていた、というようなものでした。
この広告は過去に見たことがある方もいるかもしれません。

自分もあったような気がする程度ですが、他と比べてことさら問題に感じるようなことはなかったと推測されます。
被告は控訴するようですが、この判決が社会の広告に対する認識を改めさせる方向に力をかけることは確実なように思います。
そんなわけで、つい先日のセミナーで感じた時代の変化に対する実感をさらに深めたのでした。

より客観的かつ情報の歪みの少ないマーケティングが求められる時代になっていくことでしょう。
マーケティングというものの在り方自体が問われてくるかもしれません。
そして、広告に限らず、良くも悪くもずれる余地がなくなっていき、個人においても時代の流れに適合できるかどうかが自由を享受できるかどうかの重要な要素になっていきそうな予感がします。

この法律が消費者の誤認を防ぐことを目的としたものであることは事実ですが、結果的に消費者に自分の価値観を明確にして主体的に選択をすることを求める性質が内在しているように思います。
それは、良いものだと幻想を抱いて購買してその幻想を享受する機会が減っていくことを意味し、幻想を買うなら幻想と分かって買う必要が出てくるということです。
事業者が確実に安全な範囲で広告を行うよいうトレンドになれば、今までよりも情報を的確にとらえて判断する力が求められるようになり、選択した結果に対する自己責任の度合いが上がってくるわけです。

このベクトルは、歴史なのかもっと大きな力なのか、そういった人智を超えたものが人間を意識的にさせる方向に何らかの圧力をかけているかのようにすら感じます。
そんな時代では、今まで想像していた以上に、己を知って顕在意識的に自分を扱えることが幸せの中に生きる秘訣になることでしょう。

谷 孝祐
2015.1.22 22:25