詐欺の存在要件 | 3年前のしこうの楽しみ

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経済活動は単純なお金の移動であるという視点を持つことで、今まで理解できなかった現象が成立する理由がとらえられました。
それは詐欺という行為に対してです。
自分もまだ許容と承認の区別がついていなかった頃には、何度か遭遇して損をしたことがありましたが、それでもなぜそれが世間においてまかり通るのかというメカニズムを明確に納得できていなかったのです。

そんな方法は淘汰されていくように思っていましたが、手法を変えて生き残っているのが現実でしょう。
もちろん騙す方に問題があるわけですが、騙される方にも原因があるわけで、誰も騙されなくなれば存在しえなくなるわけです。
そのような意味において、自分自身も詐欺の存在を容認してしまっていたことを反省せざるをえません。

そして、今回の気づきによって、詐欺に本質的なエッセンスが流れているからなくならないのだという見地が生まれてきました。
おそらく、詐欺を働く優秀な人たちに誰のお金という概念はないのではないかと推測されます。
正確には、人のお金は自分のお金で、自分のお金は自分のお金という心理構造かもしれません。

自分が今まで接した範囲でいうならば、何らかの大義名分があって正当化がなされていて罪悪感を感じなくて済むようになっていそうです。
そうであるなら、他人の口座から自分の口座に入金してもらうのは、自分の口座から自分の口座へ移動するのとさほど変わらない感覚になるでしょう。
このある種の誤っているけれど本質的なフラットさが、詐欺という行為を存在させているのではないかと思います。

そう考えると、自分に降りかかった過去の現象は、お金に対してよりフラットにとらえられるように警鐘を鳴らしていたとも言えなくはないでしょう。
これがわかって、何かを受け取った体感が生まれてきたのでした。
それは、純粋にお金をお金として認識できる感覚なのかもしれません。

谷 孝祐
2015.1.20 22:26