意識に境界のない世界 | 3年前のしこうの楽しみ

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夢やイメージと現実との境界を廃止し、すべてを現実と位置付けてみることの効用を考えてみることにしました。
これを行うことで、この取り組みの意義が明確になり、受け取るべきエッセンスが浮き彫りになると思ったためです。
もし意識の世界においてこれらに本質的な違いがないとしたら、何らかの理由で分離していた意識の統一がなされると推測できるでしょう。

その理由は多様ですが自己理解の不足という共通したテーマを内在していると推察され、この改善が本来の状態を取り戻すための鍵となっていることでしょう。
また、意識の分離が人格の分離を起こしているとするなら、この取り組みは結果的に本質的人格統合につながって自己同一感を高めそうです。
つまり、自分が自分自身を統一された一個の存在として認識できるようになり、内面での葛藤や迷いや滞りがおおかたうまれなくなりそうだということです。

簡単な表現で言うなら、悩むことがなくなり自分を信頼できている状態になるということです。
そして、統一された意識状態は、分離して自己の内部で力が相殺されてしまうよりも対外的に強い力を持つことが容易に想像がつき、いわゆる現実への影響度も高くなると考えられます。
それは、顕在意識が現実に与える影響の強さをも意味し、究極的には主観的に思い描くことと現実が一致するようになるのかもしれません。

そもそも自分の意識が勝手に生み出していた境界がなくなるので、意識の力をより効率的に外に向かって伝えることができるとも思いますし、力という概念を用いるのではなく同調的に外界が連動していくとも推測することができるでしょう。
というより、自分の内と外という区別もなくなるのでしょう。
そんなわけで願えば本当に叶うという状態になるわけです。

物質界が目に見えないエネルギー世界の顕在化と考えるのであれば、それは当たり前のことであり、意識の統一はこの当たり前さをそのまま受け取ることを容易にさせるのかもしれません。
ということで、これは本当の意味での統合を具現化することになりそうです。
しかし、もちろんそのデメリットがないわけではありません。

顕在的に感じたことが現実にすべて顕現してしまったら右往左往してしまうこともあるでしょう。
こういったデメリットを生み出さない状態に自分がなれば、それだけこの理想とも言える意識状態に近づけるのかもしれません。
もし、その扉が開かれたのであれば、チャレンジしてみる価値は非常に大きいように感じたのでした。

谷 孝祐
2015.1.18 22:50